戌にまつわる故事成語(一)

第37回  戌にまつわる故事成語(一)

 なんと今年初めての「ちゅうごくちゅうどく」なんですね。このところずーっと忙しくて趣味の世界に手が廻らない状態でした。特に3月には、簿記の知識ゼロなのに複式簿記を書くという暴挙に出てしまいました。これで青色申告すると控除額がぐっと増えるのです。基本的に傲慢な性格なので、あんなもの、勉強していないからわからないだけで、他の人に書けて私に書けないはずがなーい、と高を括っていたら、予想以上に頭が硬くなっているのに愕然、「こりゃダミだ」ということになって青色申告ソフトを購入、それでも書くのに1週間かかってしまいました。ああ、もっと謙虚になろー。。。
 ところで私、前回のちゅうごくちゅうどくで、「酉にまるわる〜」をもう少し書くとかほざいているようですが、前言撤回、今回から犬にまつわる故事成語を始める事にします。別に理由はないのですが、別に系統立てて書いている訳でもないし、気楽に無責任に行こうという訳です^^。
 犬にまつわる故事成語、最初のお題は、《羊頭狗肉》です。そのまま「よーとーくにく」と読むか、「羊頭を掲げて狗肉を売る」と読みます。見かけと実質が一致しないこと、見掛け倒し、という意味です。狗=犬ということは、ちゅうごくちゅうどくを読んでいる皆さまなら、先刻ご存知ですよね。第6回の「狡兎死して走狗烹(に)られる」や、第30回の「鶏鳴狗盗」で既に出てきています。犬は番犬や狩猟犬として、人間が最も長くお付き合いをしている動物で、約12,000年前、旧石器時代末期に家畜化されたそうです。当然、漢字方面での付き合いも古く、最古の漢字群に含まれています。
      
(鄭高詠著『中国の十二支動物誌』より転載させて頂きました)

 ここに掲げるのは最も古い犬という文字です。左から絵文字、金文、小篆で、右ほど新しい字です。ところで現在私たちは、「犭」をケモノヘンと呼んでいます。猫とか狐とか猿とか、獣によく使う篇なのでそう呼ぶのでしょうが、元々は「イヌヘン」と言うのだそうです。上の古い字形の真ん中、金文を見ると、ああ、なるほど。。。とも思います。余談ですが、「獣」と言う字は「犬」が「旁」で使われています。
 何を思ったか、中国人はご丁寧にも元々犬を表す「犭」に音を表す「句」をつけて、新たに「狗」というイヌを示す字を作ってしまいました。さて、犬と狗、どこが違うのかというと、諸橋徹次は《十二支物語》の中で、たいした区別はない、と書いています。他方、インターネットを検索していて、「犬は天にいるイヌ、狗は地上にいるイヌだ」という文を目にしたこともあります。
 「狗」の話はこのくらいにして、本題の《羊頭狗肉》に行きましょう。この四字熟語はかなり有名な方だと思います。たしか、漢文の時間にも出てきてような気がしますが、実は、由緒正しい血統書付きの故事成語ではありません。しかも、年代によって言い回しに変化があります。
 文献に現れた最初は《晏子春秋》です。この書物は、晏子という人の日ごろの言動を記したものです。晏子は晏嬰とも晏平仲とも呼ばれる人の尊称で、年代的には孔子より少し古く、斉で大夫や宰相を務めた人です。この書物がいつ編まれたかについては説は一つではありませんが、戦国時代というのが有力なようです。《内篇雑下第六》の第一に次のような形で出てきます。
 「牛首を門に懸け、馬肉を内に売る」
 羊頭の代わりに牛首、狗肉の代わりに馬肉となっています。話の内容はこうです。
 霊公は女性が男装することを好みました。それで町中の女性が男装するようになりました。ところが霊公は、(宮中は良いが)町での女性の男装は
「許さん・・・」
 このお触れを破ったものには服を引き裂き帯を断ち切るという罰を設けました。しかし、男装する女性はいっこうに減りません。そこで晏子に「何故だろう」と尋ねたところ、「宮中で男装させながら、町では禁止するのは、ちょうど牛の首を門に掛けておきながら店では馬肉を売るようなものです。どうして、宮中でも禁じないのですか」との答え。そこで言われた通りにやってみたところ、翌月から男装するものはいなくなりました。
 このような話です。先ほど意味は「見かけと実質が一致しないこと、見掛け倒し」だと書いたのですが、この話はそれとちょっとずれている気がします。言っていること(男装を禁止する)とやっていること(宮中では男装を許す)とが一致していないという意味で「言動不一致」という意味に近いと思います。
 ところで、ここに出てくる霊公というのは斉の霊公です。これは所謂、諡号で、困った事に当時の国の数だけ・・・というのは大げさにしても、とにかく、そこら中にいます。衛の霊公、鄭の霊公、晋の霊公、陳の霊公、秦の霊公、など。周は王を名乗るので、周の霊王、楚は周を敬う気持ちがなかったのか、やはり霊王としています。諡号というのはその人が亡くなった後、生前の働き、功績を鑑みて贈るのですが、この霊公というのは、悪いイメージの諡号です。悪いイメージの諡号としては、霊公の他に幽公や詞を挙げることができます。

 さて時代は下り、前漢末期に劉向(りゅうきょう、或いはりゅうこう。「きょう」は漢音、「こう」は呉音)という人がいました。劉邦の腹違いの弟の4世の孫にあたります。名門の政治家ですが、政治家としてよりも、《戦国策》、《列女伝》、《説苑(ぜいえん)》の著者(編者)として有名です。その説苑の政理篇に先の話とほぼ同じものがあります。違うのは、霊公ではなくその孫の景公のときの話になっているところです。後、言い回しも微妙に違います。
 晏子春秋:懸牛首于門、而賣馬肉于内也
 説苑:懸牛首於門、而求買馬肉也
 晏子春秋の方は「売る」、説苑は「買え」という感じです(かな?)。

 さらに時代がもう少し下り、後漢の頃になります。《後漢書志第二十六百官三》に「懸牛頭、賣馬脯」という言葉が出てきます。「馬脯」は干した馬肉のことだそうです。そこまではわかったのですが、何故そこにこの言葉が出てくるのかがわかりません。うちには後漢書の訳本がないので、とりあえずインターネットで調べてみることにしました。「寒泉」か「中央研究院漢籍電子文献」で調べれば、著名な文献なら原文を見ることができます。もっとも、原文を見ても中国語がわからないのですから、本当は見てもしようがないのですが、そこは同じ漢字を使う民族同士、ぼーっと見ていると何となくわかってくることがあります。で、ぼーっと見ていると、時は後漢初代の皇帝、光武帝の辺り、丁邯という人の妻の弟が公孫述(光武帝に対抗して皇帝を称していました)の将軍になったので、丁邯は妻を獄に繋いだ。というところまでは何となくわかったのですが、その後がよくわからない。「懸牛頭、賣馬脯」の後に「盜跖行、孔子語」と続いています。盜跖というのは中国古代の大泥棒ですが、盜跖が行って孔子が語る・・・???よー、わからんな。。。
 こうなったら最後の手段です。最後の手段とは、、、そう、あの手段です。久しぶりだなあ。。。早速、黄虎洞先生にメールを出しました。メールを出したのが27日午後8時、回答を頂いたのが28日午後12時半。相変わらずの素早さです。
 謹聴!
 以下、先生の詔
 これは『後漢書』の本文ではなく注に引かれている『決録注』(現在は無くなっている)の中の言葉で、自分は漢の漢中太守を拝しているのに、妻の弟が漢に逆らう公孫述の将となったので、先ず妻を捕らえその後自分も罪を請うと言う話しで、不正を正す職に有る己が身内をかばうようなことをしては、「牛の頭を掲げて実際は馬の肉を売り、大泥棒である盜跖のような行いをしながら立派な孔子の言葉を語るようなものである」と言う意味です。要するに「言っていることと実際の行いが異なる、見せているものと実際売っているものが異なる」と言うことです。


 ははーっ、よおくわかりましたあ。
 「盜跖行」は「盜跖が行く」ではなくて、「盜跖のような行い」で、「孔子語」は「孔子が語る」ではなくて、「孔子の言葉を語る」ということだったのですね。
 なお、現代教養文庫《中国の故事・ことわざ》には後漢書の光武紀に「羊頭馬脯」が載っていると書いてあるですが、見つけられませんでした。
 さて、時代はぐっと下がって南宋になります。無門慧開という禅僧が編んだ《無門関》という公案集があります。これは《碧巌録》や《従容録》と共に並び称される、中国宋代の代表的な公案集だそうです。《碧巌録》については第15回の「竜頭蛇尾」で少し触れました。公案とは元々は役所が発行した文書のことで調書とか判例とかを指しますが、禅の世界では、修行者に与える課題を指します。こういう類の本は、読むと何かしら痛快なのですが、意味はちっとも解りません。さてその《無門関》という公案集は古くからある課題に無門自身が批評を加えています。その6番目に「世尊拈花」というお題があります。「お釈迦さんが花を拈(ひね)る」という意味です。
 短い話ですから、全部載せておきます。
 昔、お釈迦さまが霊山で説法をなされたときのこと、1本の花を持って聴衆に示されました。それで何も仰らないので、一同点目になっていたところ、迦葉(かしょう)尊者だけはにっこりされました。
 そこでお釈迦さまが仰るには、「私には何でも見通す眼、説くに説けない覚りの心、目には見えない真実というものがあるんだわ。それを文字や言葉ではない方法で迦葉に伝えるだが」
 (以上、課題、以下、無門の批評)
 そこで無門は言います。
 「お釈迦はんも無茶苦茶やわ。みんな、今日はどげなありがてー話聞けるか待っとるちゅーに、しやはったことゆうたら、花をかざしただけやんか。羊の肉売るゆうて、犬の肉売っとるのと同じやん。ところで、もし、みんなが微笑んだら、お釈迦はん、どうしやはったんやろ。反対に、だあれも微笑まんかったら、お釈迦はん、どしたんやろか」
 以上、原文の醸し出す雰囲気とは随分違いますが、ま、意味としてはそんなには外れていないと思います。
 一般には、ここが《羊頭狗肉》の出典とされています。今まで《晏子春秋》、《説苑》、《後漢書》(の注)、《無門関》と見てきました。昔は「牛と馬」、《無門関》で「羊と狗」が使われています。この関係を「以前は牛と馬で表現していたが、時代を経るに従って、羊と狗で表すようになった」と系統立てるのは難しいかもしれません。広大な中国で、一つの言葉が同じような過程を経て秩序だって変化していくという事は考えにくい事です。黄虎洞先生は「類義語」として上に述べたような言葉があると仰っています。とりあえず、そのくらいの関連性で留めておくのが無難かもしれません。
 また、この無門関の話から、「拈華微笑」という言葉も生まれました。以心伝心、文字や言葉に頼らず心から心へ伝わる、という意味です。

 今回はうまく纏まったなー。分量もこのくらいが適当だし。よ、よーし、次こそ、「よくわかる西遊記」を書くぞー。
 

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