短期集中連載「大地の歌にまつわる7つの唐詩」も、今回、終楽章となりました。今まで、あまり詩というものに興味がなかったのですが、少しは、詩の作り手の心がわかってきたような気がします。陳舜臣氏の「中国の歴史」には、詩の話がよく出てきます。これまでは、ふう〜ん程度で読みすごしていましたが、近いうちにもう一度読み返そうと思っています。 さて、大地の歌の第6楽章ですが、この楽章では二つの唐詩をもとにして作られた「告別」という詩が歌われます。前半は孟浩然の「宿業師山房待丁大不至」が、後半は王維の「送別」という詩が題材となっています。まずは孟浩然からです。孟浩然と言えば、名前の知名度からすると李白、杜甫には及ばないかもしれませんが、彼の「春暁」を知らない人はおそらくいないのではないかと思います。 春眠不覚暁 春眠 暁を覚えず 処処聞啼鳥 処処に啼鳥を聞く 夜来風雨声 夜来 風雨の声 花落知多少 花落つること知んぬ多少ぞ 誰でも第1句のような経験はあると思いますし、田舎に住んでいれば第2句のような鳥の声も聞いたことがあるはずです。覚えやすい句と誰にも身に覚えのあることを歌ったこの詩は、中国のすべての詩の中でも最も有名だといえます。ところが、「宿業師山房待丁大不至」となると、途端に「うっ」となります。正直言って、こんな詩、見たことも聞いたこともありませんでした。 調べてみると、これは唐詩三百首に収録されていました。日本では「ちくま叢書/唐詩選/吉川幸次郎編」に収録されています(但し、絶版。調べればもっと他にもあるでしょうが)。この吉川幸次郎編の「唐詩選」はちょっと変わっていて、いわゆる「唐詩選」とは収録されている詩が少々異なります。ですから、例えば岩波文庫の「唐詩選」にはこの「宿業師山房待丁大不至」は入っていません。まあ、それはともかく、早速、詩を紹介していきましょう。読み下し文は前述、「ちくま叢書/唐詩選/吉川幸次郎編」によります。 ≪宿業師山房待丁大不至≫ 夕陽度西嶺 夕陽、西嶺を渡り 羣壑倏已暝 羣壑(ぐんがく) 倏(しゅく)として已(すで)に暝(く)る 松月生夜涼 松月 夜涼を生じ 風泉満清聴 風泉 清聴を満たす 樵人帰欲盡 樵人 帰りて尽きんと欲し 煙鳥棲初定 煙鳥 棲んで初めて定まる 之子期宿来 之子、宿を期して来たり 孤琴候蘿徑 孤琴 蘿徑(らけい)に候(ま)つ 次に詩の内容です。 タイトルは「業師というお坊さんが丁公を山房で待っているけれど来ない」というくらいの意味です。 夕日が西の山へ沈み あっというまにここ谷間は日が暮れてしまった。 松の木にかかった月が夜の涼しさをかもし出し 泉が風にさわいで清い響きが耳に届く。 木こりはもう家に帰ったし 山もやに住む鳥たちもねぐらに戻った。 君がここへきて泊まるというものだから 私はかずらの小道で一人琴を弾いて待っているのだ。 ちくま叢書の注には『「業師」とは下の名前が「業」という名前のお坊さん』とあります。下の名前というと苗字じゃないほうってことですかね。 いつもは、次に大地の歌のテキストを持ってくるのですが、この楽章は二つの詩を合わせて、一つのテキストになっているので、今回は、引き続き王維の「送別」を書き、その後、マーラーのテキストを掲げてみることにします。 この王維の「送別」という詩は「大地の歌にまつわる7つの唐詩」の中では群を抜いて有名です。唐詩選(岩波文庫では唐詩選[上])にも唐詩三百首にも収録されています。王維にはもうひとつ「送別」という詩があり、唐詩三百首にはそのどちらもが収録されています。ちなみに岩波文庫の「中国名詩選(中)」という詩選集にも収録され、唐詩関係の本を買うとまず選ばれている、といった感じです。2楽章の銭起の詩とはえらい違いです。まず、詩と読み下し文です。 下馬飲君酒 馬より下りて君に酒を飲ましめ 問君何所之 君に問う 何(いず)くにか之(ゆ)く所ぞと 君言不得意 君は言う 意を得ず 帰臥南山陲 南山の陲(ほとり)に帰臥(きが)せんと 但去莫復問 但だ去れ 復た問うこと莫(な)けん 白雲無盡時 白雲は尽くる時無からん 大体、有名な詩というものは平易ですね。漢詩をじっと眺めているとなんとなく意味がわかってきます。難しいのは「陲」くらいです。 馬から下りて、君に酒を勧めよう(別れの盃) 「これからどうするのだ。」 「世の中思い通りにならないので、南山へ帰ってどこかその片隅にでも住むさ。」 「そうか。それじゃあ、行きたまえ。もう何も聞かないよ。 白雲が尽きることも無く沸き起こっているんだろうね。」 まあ、このくらいの意味です。注意すべきことは「白雲」という言葉で、王維にとって「白雲」には特別な意味があり、「山中の生活」を意味する言葉として、よく使っているそうです。古来、中国人は孔子の教えを尊び、表面上は役所勤め(出世)を目指しますが、心の底では、山に引きこもり晴耕雨読のような生活に憧れ、さらに、あわよくば仙人になっちゃいたいなあという考えが根強くあるようです。ですから、儒教を口にしながらも、家に帰るとねっころがって道教の本を読むという官僚級の人はたくさんいたようです。 南山は終南山のことで、長安(西安)の南にあり、1500キロに及ぶ秦嶺山脈の一部をこう呼びます。ですから富士山のようにぽこっと一個の山が聳え立って、それを「南山」と呼んでいるわけではありません。長安からも見えるため、非常に親しみを持たれている山ですが、特に王維はこの山を愛し、「終南山」という詩を作っているくらいです。 それではテキストと訳です。訳の方はちょっと自信が持てないので、例によって田秋氏に責任を押し付けちゃいましょう\(^O^)/
この王維の詩に限って、エルヴェ・サン・ドニの訳とハンス・ベトゥゲの訳を見つけることが出来ました。これは神様の私へのプレゼントかもしれません。 うひゃ、うひゃ、うひゃひゃ。←興奮して精神に異常をきたしているた〜き〜先生。 まず、原詩を再掲します。 王維:「送別」 下馬飲君酒 馬より下りて君に酒を飲ましめ 問君何所之 君に問う 何(いず)くにか之(ゆ)く所ぞと 君言不得意 君は言う 意を得ず 帰臥南山陲 南山の陲(ほとり)に帰臥(きが)せんと 但去莫復問 但だ去れ 復た問うこと莫(な)けん 白雲無盡時 白雲は尽くる時無からん 次にエルヴェ・サン・ドニの訳です。 Je descendis de cheval; je lui offris le vin de l'adieu 私は 馬からおりた; 私は 別れの酒を彼に捧げた Et je lui demadai quel était le but de son voyage. そして、旅の目的は何なのかと尋ねた。 Il répondit; Je n'ai pas réussi dans les affaires du monde; 彼は答えた、私は出世する事ができなかった Je m'en retourne aux monts Nan−chan pour y chercher le repos. 休息を探し求めるために南山に戻るのだ。 Vous n'aurez plus désormais á m'interroger sur de nouveaux voyages, これからは 新しい旅立ちについて自問することもないだろう、 Car la nature est immuable, et les nuages blancs sont éternels. 自然は不変であり、白雲は永遠のものなのだから。 (中谷郁子さんに日本語訳をお願いしました) 次はベトtゥゲの訳です。 Ich stieg vom Pferd und reichte ihm den Trunk 私は馬から下り、彼に別れの飲み物(酒)を与えた。 Des Abschied dar. Ich fragte ihn, wohin 私は彼にどこへ?と尋ねた。 Und auch warum er reisen wolle. Er そして何故旅をするのかとも。 Sprach mit umflorter Stimme: Du mein Freund, 彼はかすれ声で話した。友よ、 Mir war das Glück in dieser Welt nicht hold. この世の幸せは私には来なかった Wohin ich geh? Ich wandre in die Berge, どこへ私が行くのかって?私は山をさまよい Ich suche Ruhe für mein einsam Herz. 私は孤独な心のために休息(静寂)を求める Ich werde nie mehr in die Ferne schweifen, 遠くまでさまようことはもうしない。 Mud ist mein Fuß, und müd ist meine Seele, 足は疲れ、心も疲れた。 Die Erde ist die gleiche überall, 大地はどこも同じ Und ewig, ewig sind die weißen Wolken.... 白雲はいつまでも、いつまでも、・・・ 最後にマーラーによる6楽章の該当部分です。
詳しい比較は俄かには難しいですが、王維の詩のキーワード(この詩だけではなく、彼の詩全体を見ての)である、終南山と白雲の変容について見ておきます。
王維&孟浩然: 「 オーイッ 、 モウ 、 なんで コウ なる ネン 」 これで一応、当初の目的である、原詩とマーラーのテキストとの比較は終わります。邦訳、特にマーラーのテキストの日本語訳は必ず、権威あるもので確認をとってください。 あと、もう一回、総論的なものを書く予定です。はっきり言って、この集中連載を読んだからといって、「大地の歌」への理解が深まるとも思えません。その点はご了承ください。また、このページはあくまでも一楽員の趣味の世界であり、日本フィルの公式見解ではないことをお断りしておきます。 目次へ |