呉越同舟

第七回   呉越同舟


 中国の歴史を大雑把に眺めていると、何度読み返しても飽きが来ない時代が所々にあります。あたかも綿々と連なる山脈の中にいくつかの主峰級の山が聳え立っているかようです。例えば、始皇帝から項羽と劉邦辺り、魏蜀呉のいわゆる三国志、隋の煬帝から唐の太宗辺り、元の成立前後などがそうです。今挙げた時代はこれまでにも幾度となく小説の題材にもなり、私たちを楽しませてくれています。今回は、そういう時代のうちの一つ、「 呉越 」にスポットを当て、そこで生まれた故事成語を見ていくことにします。
 呉にも越にも長い歴史がありますが、いちばん有名なのは、呉王夫差(ふさ)と越王句践(こうせん)との戦い、及びその周辺の人物でしょう。呉王夫差の周りには、伍子胥(ごししょ)がいます。越王句践には范蠡(はんれい)という名臣がいます。時代としては概ね、紀元前500年くらいからの25年間で、孔子の晩年に相当します。場所は、呉は今の上海辺り、越は紹興酒で有名な紹興の辺りです。

 さて、最初に紹介する故事成語は「 呉越同舟 」です。出典は「 孫子 」第十一篇「 九地 」です。「 孫子 」は、孫武によって著された書物で、彼は夫差の父、闔廬(こうりょ)に仕えました。「 孫子 」はこれだけで「ちゅうごくちゅうどく」が数回は書ける、故事成語の宝庫です。いずれ取り上げることとして、本日は呉越同舟に的を絞ります。
 この篇に書かれていることを要約すると次のようになります。「 日頃、憎しみあっている呉と越の人が同じ船に乗り合わせていたとする。もし大風が起れば、日頃の憎悪も忘れ、手を取り合って船を助けようとするだろう。軍を操るのに巧みな人は、これと同じように軍隊を戦うしかない状況におくのである。 」
 これが呉越同舟の意味で、単に仲の悪い人たちがどこかで同席するだけでは、意味としては不十分です。彼らが助け合って、初めて本来の呉越同舟になるわけです。

 次は、「 臥薪嘗胆 」です。これは難しい漢字を使うわりには有名な言葉です。夫差の父が殺された恨みを忘れぬために、毎日、薪の上で寝起きしたことと、句践が敗戦の屈辱を忘れぬため、肝を嘗めたという故事に基づきます。  出典は十八史略です。考え方によっては、随分と嫌な成語ですが、使い方によっては有用です。将棋に負けた悔しさをバネに将棋の勉強をして強くなるとか、オーディションに落ちた悔しさをバネに練習を重ね、次の試験に合格するとか。振られた悔しさをバネにストーカーになるのはいけません。  今、「 嘗胆 」の故事の説明で、「 句践が敗戦の屈辱を忘れぬため 」、と書きましたが、戦いに降伏する屈辱を「 会稽の恥 」と言います。これは、このとき、句践が会稽山に囲まれて降伏したことによります。

 次に、夫差の側近であった伍子胥にまつわる故事をみてみましょう。正確に言えば、伍子胥は夫差の父である闔廬の側近で、夫差には最初は煙たがられ、後、疎まれ、最後には自決させられてしまいました。
 伍子胥にまつわる故事の圧巻は、父と兄を殺した楚の平王への復讐の場面でしょう。平王の墓をあばき、その死体を引きずり出し、鞭で何度も打ち据えました。
 「 死屍に鞭打つ 」或いは「 死人に鞭打つ 」の出典になった話で、史記・呉太伯世家に載っています。この伍子胥のあまりに残忍な行為を見かね、彼の友人の申包胥が伍子胥の行為を非難しました。それに対して伍子胥は「日暮れて道遠し」と答えました。  「 自分は老いてしまった。やりたいことはたくさんあるのに、残された時間は少ない。天道に従って悠長に構えてはいられないのだ。 」
 ここから期することは大きいのに老いて時間がなくなることを「 日暮れて道遠し 」と言うようになりました。

 最後に句践の臣であった范蠡にまつわる故事を紹介します。越王句践が呉を滅ぼすと、范蠡は句践を「 苦しみを共にすることはできるが、楽しみを共にすることはできない 」人物とし、「 飛鳥尽きて、良弓蔵(おさ)められ、狡兎死して、走狗烹(に=煮)らる 」と述べています。これは前回の「 ちゅうごくちゅうどく 」で述べた通りです。功臣も用がなくなれば、邪魔者になるという意味で、その後范蠡は斉に逃れ、さらに陶という地に移りました。そこで彼は陶朱公と名乗り、実業家として巨万の富を築きました。この話が元になって、富裕のことを「 陶朱の富 」と言うようになりました。これは又、魯の猗頓(いとん)という、同じく莫大な財産を成した人と並べてお金持ちのことを「 陶朱猗頓 」とも言います。

 付録として故事成語を年代順にまとめておきます。
1.伍子胥が平王の墓をあばく。⇒「 死屍に鞭打つ 」、「 日暮れて道遠し 」
2.夫差の父、闔廬が死ぬ。⇒「 臥薪 」
3.呉王夫差、越王句践を会稽山に包囲し、下す。⇒「 嘗胆 」、「 会稽の恥 」
4.范蠡が句践の元を離れる。⇒「 飛鳥尽きて、良弓蔵(おさ)められ、狡兎死して、走狗烹らる 」
5.范蠡が財を成す。⇒「 陶朱の富 」
 「呉越同舟」は1.の前後に位置すると思われます。
 

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