ちゅうごくちゅうどく


第一回   破天荒

 私達が日頃何気なく使っている言葉のの中には、実にたくさんのメイドインチャイナがあります。その中には由緒正しい出典を持ったものもあれば、そうでないものもあります。そしてその多くは、当時の世相、文化、歴史に深く関わっていると言えます。
 このコーナーでは中国中毒にかかっている「菊田秋一@日本フィル」こと「た〜き〜無花果」が思いつくがままに言葉を取り上げ、勝手気ままに解説を加えていきたいと思います。

 さて今日の言葉ですが、初回でもありますので、最近、「みんなの掲示板」に現われた「破天荒(5月13日付:平井あけみ様の書き込み)」を題材に取り上げようと思います。

 中国には俗に三大奇習と呼ばれるものがありました。宦官、纏足、そして科挙です。宦官とは去勢した男性のことであり、実は中国だけの風習ではなく、昔はかなり広い地域で行われていたようです。では何故、このような男性が必要だったのかというと、そもそも宦官は皇帝の身の回りの世話をするのが役目であり、ということは日本でいうところの大奥にも出入りするわけで、そういうところは古来、皇帝を除く男性の出入りは禁じられていたわけです(何故だかわかりますね)。そこで日本では大奥の仕事は女性が担当したわけですが、どういう思考回路からか、中国では間違いを起こすことが出来ない男性を作り上げてしまったのです。こういうところが、さすが中国と言うかなんと言うか・・・。男性を去勢するということは宦官のほかに刑罰としてもありました。腐刑または宮刑といわれるもので、有名なところでは史記を著した司馬遷がこの刑に処せられました。この辺のことはいつか書いてみたいと思います(先に星野君が書くかも知れませんが)。しかし内容的に日フィルのHPでは書けないかも・・・。

 次に纏足です。これはまさに中国独自の奇妙奇天烈な風習です。足の踝より先に包帯を巻いて女性の足の発育を止めるのです。それも尋常の縛り方ではありません。いろいろ手段を講じて足の甲の骨を折り曲げるように割ってしまうのです。そのようにして足の成長を止められた成人女性はヨチヨチと腰を振って歩くことになり、男性の目を楽しませました。又、女性の逃亡防止にもなりました
 こういう風習が何百年も続くと、それが次第に当たり前となり、女性自身、纏足はするものだと思うようになり、男性は日頃包帯で隠されている足に異常なエロティシズムを感じるようになったのです。ただし、全中国女性が纏足にしたわけではなく、所謂身分ある女性の風習でした。農作業など纏足の女性ではできませんからね。似た言葉に豚足というのがあり、同じく中国特産なのですが、こちらの方は三大奇習には含まれないようです。

 次に科挙です。一口にいうと公務員試験です。今の日本では大学を出たあとの、公務員になるための一種の就職試験ですが、こちらは子供の時から始まる、公務員になるための総合教育の段階ごとの試験です。
 日本で受験地獄という言葉ができて久しいですが、それもこの科挙に比べたら一桁の足し算のテストくらいかもしれません(ちょっと言いすぎかも、3桁の掛け算くらい?)。中国には四書五経といって、勉学の志のある者が必ず勉強する書物があります(孔子、孟子、大学、中庸、易経、礼記、書経、左伝、詩経)。全部で約43万字です。これを丸暗記します。それが最初の勉強です。
 試験形態は、時代によってかなり異なりますが、清朝を例のとると、県試、府試、院試、歳試、科試、郷試、挙人覆試、会試、会試覆試、最後に天子自らが試験官になる殿試が行われました。そして雍正帝の時から、さらにその後、朝考というものが行われるようになりました。各試験は次の試験の受験資格を取るためのものですから、いきなり科試からというわけにはいきません。最初から順番に受けるしかありませんでした。
 弊害が多い科挙ですが、ひとつだけ良いところ(?)があるとすれば、それは誰でも何回でも受けられるところです。実際は、これが良いかどうかは判断は難しいところです。殿試の時、天子に歳を訊かれて73歳ですと答え、さらに幾人の子供があるかと問われ、まだ独身ですと答えたという笑うに笑えない話もあります。
 まあ、しかし、出世するにはこれに合格することが早道であり、先にも書きましたように誰でも受けられるので、人々の関心も高く、科挙に関係するいろいろな言葉が生まれました。

 「破天荒」もその中の一つです [ はあ、やっとたどり着いた。一時はどうなるかと思った! (~_~) ]。
 今でも、週刊誌などで県別有名大学合格者などという特集が組まれますが、そういうことは昔の中国でもありました。さすがに週刊誌はなかったでしょうが、省別に合格者数を競い合ったようです。
 会試の合格者を進士と呼びます。唐代の荊州というところは文化人の多い土地柄でしたが、どうしても進士合格者を出すことができませんでした。それで人々は自分たちの地域を天荒と呼び悲観しましたが、これは未開の地、不作の地という意味です。ところが100年か200年経って、遂に長沙の劉蛻(りゅうぜい)という人が合格し、人々は「ああ、やっと天荒を破った」と喜び合いました。
 これが破天荒の由来です。ですから、本来の意味は、「人材が出る」ということです。これが転じて、未曾有、前代未聞という意味に使われるようになりました。
 破天荒の他、科挙関係の言葉として、秀才、選挙、圧巻があります。秀才は歳試の合格者、圧巻は科挙の最終試験である殿試の首席合格者の答案(当時は巻物)が数多の答案の一番上に積まれることに由来します。選挙は科挙に合格することでした。

 最後に日本人礼賛を一発。日本は、中国と国交をもって以来、その影響のされようはまるで親子の関係と言ってよいくらいでした。しかし、この三大奇習に関しては、どれひとつとして日本に根をおろすものはありませんでした(科挙だけは短い期間、施行されたことがあるようです)。ただの物まね人種ではなかったのですね!!

 随分長くなってしまいました。初回ということもあり、少々力み過ぎたようです。次回からもう少し軽く書こうと思います。これからも、星野究の人物探訪、橋本洋の西安・ 咸陽めぐり同様、ご贔屓お願い申しあげます。


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