蛇にまつわる故事成語(五)

第49回  蛇にまつわる故事成語(五)

 蛇にまつわる故事成語、今回は上級編です。うまく使って、教養の深さを見せつけてやりましょう^^。もっとも、場違いなところで使うと(例えば日フィルの楽屋)ただの変人と思われてしまうので注意が必要です。
 お題は《涸沢の蛇》、意味は「うまく相手を利用して、共に利益を得ること」です。出典は韓非子で、その説林上篇に載っているお話です。「説林」は「ぜいりん」と読みます。「せつりん」と読んでは教養の化けの皮が剥がれてしまいます。間違っても「ぜつりん」とは読まないように注意しましょう。この篇は遊説するときの資料集といったものです。それでは話の内容を見てみましょう。
 鴟夷子皮(しいしひ)は田成子(でんせいし)に仕えていました。田成子が燕へ亡命しようとしたとき、鴟夷子皮がお供をしました。国境の町に着いた時のこと、鴟夷子皮がこう言いました。
「あなたは、涸れ沢に住む蛇の話をご存じですか。沢が枯れたのでよそへ移ろうとしたとき、小さな蛇が大きな蛇に向かってこう言いました、『あなたが先に行き、その後私がついて行ったなら、人はただ普通の蛇だと思い、きっとあなたを殺しましょう。もしあなたが私を背負っていくなら、人は私を神さまだと思うでしょう』。大きな蛇はもっともだと思いいわれた通りにすると、人々は『神さまだ』といい合い、蛇をよけたということです。今、あなたは立派で私は見劣りがします。あなたを私の上客とした場合、あなたは千乗の国の君主のようにみえます。しかし、あなたを私の従者にした場合、私は万乗の大国の大臣のようにみられます。ですからここは、あなたは私の家来になるのが一番です。」
 そこで田成子は荷物を背負い、子皮の後ろに従いました。宿屋につくと、果たして宿の主は二人を丁重にもてなし、酒や肉までサービスしました。
 以上が話の内容です。よく似たものに「虎の威を借る狐」というのがあり、こちらは虎の項で既に取り上げています。この両者、似ていますがニュアンスが少し違います。《涸沢の蛇》の方には相手を騙そう、という意図はありません。
 さて、この話には人が二人登場します。一人は鴟夷子皮、もう一人が田成子です。鴟夷子皮は范蠡(はんれい)の斉へ逃れてのちの名とするのが通説で、それでは范蠡とは誰かというと、この人も既にちゅうごくちゅうどくに
登場していらっしゃいます。但し、この鴟夷子皮は范蠡ではないという説もあります。
 もう一人の田成子、実はこの御方も既にちゅうごくちゅうどくに登場していらっしゃいます
 「成子」は謚(おくりな)で、諱(いみな)は「常」、字(あざな)はわかりません。この田常の曾孫に当たる田和(か)が斉を乗っ取るのですが、それまでの斉(姜姓)と区別して田斉と呼ばれています。
 この《涸沢の蛇》の話が実話として、これがいつ頃のことかというと、実ははっきりしません。というのは、田家は代々、斉の宰相を務めていて、それも国を乗っ取るほどの実力があったわけですから、燕に亡命することなどもなかったのです。ただ一度、子我という政敵を討とうとしたことがあり、それを聞いた簡公(時の斉の君主)が怒っているというのを聞いて、恐れをなし国外へ逃げようとしたことがあります。一族にその弱気を諌められ、結局、子我討伐をしたのですが、この話は、その逃げようとしたときのことかもしれません(単なる推量、根拠ありません)。


 もう一つ、紹介しましょう。封豕長蛇です。
「ほうしちょうだ」と読みます。直接の意味は、「封豕」が大きいイノシシ(ブタ)と「長蛇」は大蛇、そこから貪欲で凶暴なものという意味になります。出典は春秋左氏伝で、その定公四年(BC506)出てきます。このクラスになるともう、故事成語とは言えないかもしれません。話し言葉では使ったことも聞いたこともありません。書き言葉でもお目にかかることは稀でしょう。ここは教養のための教養ということで、出典が春秋左氏伝である、ということだけ覚えておきましょう。
 封豕長蛇のことはご存じなくても、その時代は《ちゅうごくちゅうどく》の方ならきっとご存じの、最も有名な中国歴史の一場面です。
 伍子胥。
 この人が出てくると、それだけでワクワクしてきます。生き方が厳しすぎて、あまりお友達になりたいとは思いませんが、第三者として接する分には、応援したくなってきます。また故事成語メーカーでもあり、「死屍(しし)に鞭(むち)打つ」や「日暮れて途遠し」を残しました。
 伍子胥は元々、楚の人間です。時の王は平王、その太子・建のお守を仰せつかったのが父の伍奢です。お守役には費無忌という人物がもう一人いました。これがワルで、太子・建のお嫁さんになる秦の王女が美しいのを見て、平王に
「もらっちゃいなさい。太子には別の方をお迎えなさいませ。」
 平王も平王で
「そうだな。もらっちゃおう。」
 これが元で費無忌は太子の下から去り、平王に仕えることになりました。またこの秦の王女との間には子が生まれ、そうなると太子は次第に疎まれるようになりました。
 費無忌は太子から恨まれているのを知っていますから、もし、太子がそのまま王になったらきっと殺されると思い、あることないこと太子の悪口を平王の耳に吹き込み続けました。そこは簡単に騙される暗愚な平王、伍奢を呼びつけ厳しく尋問します。伍奢はそれが費無忌の讒言であることがすぐわかりましたから、太子の身の潔白と費無忌の悪人ざまを強く訴えますが、平王はますます怒り狂い、伍奢を牢屋に入れ、人をやり、太子・建を殺そうとします。一足先にその危機を耳にした太子・建は宋へ亡命しました。
 ここでまた費無忌
「伍奢には賢い息子が二人おります。この二人を取り除かねば、きっと楚の憂いとなるでしょう。」
 そこで平王、伍奢に
「息子たちを呼び寄せるのだ。さすれば、お前の命を助けよう。」
 伍奢
「兄は心優しいから参るでしょうが、弟は恥辱に耐えることを知っているからきっと来ないでしょう。」
 結局、父の言う通りになり、兄は父ともども平王に殺されてしまいます。こうして父と兄を殺された伍子胥は、以後、平王に復讐することだけが生きる目的となります。伍子胥は申包胥という者と仲がよかったのですが、楚を離れる時
「俺はきっと楚をひっくりかえしてやる」と言ったところ、申包胥は
「俺はきっと国を続かせてみせる」
 このエピソードは史記にも春秋左氏伝にも載っています。申包胥は楚の賢臣で、後でもう一度登場します。
 伍子胥は建の後を追って宋に行きましたが、その後色々あり、結局、太子・建は鄭で殺され、伍子胥は建の子・勝と共に呉へ亡命します。伍子胥は呉で公子・光の客人となり、何とか呉の力で楚を討とうとしますが、公子・光には別に野望があり、それはすぐには実現しませんでした。光の野望とは現国王を倒し、自分が王となることでした。
 一方、楚では平王が亡くなり、秦の王女が生んだ軫(しん)が昭王となりました。呉王僚(光の叔父)は楚の葬儀のどさくさにつけこみ、楚を攻撃させました。ところが戦のために都にいた呉王僚の身辺の警護が手薄になり、光はそこを狙って呉王僚を暗殺させ、自ら王(闔廬:こうりょ)となります。
 呉王闔廬は当初の望みを果たしたので、ようやく対外戦略に乗り出しました。その一つが超有名な呉越の戦い、もう一つが対楚戦略です。呉越の戦いのことはさておき、楚に対して、優位に戦いを進め、遂にBC506年、楚の都、郢に攻め込みました。そこで伍子胥は平王の墓を暴きその死骸に鞭打ち、ようやく父と兄との恨みを果たしたのでした。
 ここで前述した申包胥が再び登場します。申包胥はこのとき山へ逃げていましたが、人をやって伍子胥を非難させました。
「いくらなんでもおぬしの仇討のやりかたはひどすぎはしないか」
 それに対して伍子胥は
「おれはもう『日暮れて途遠し』という身なのだ。」
 そういうことがあって後、申包胥は秦へ向かい危急を訴え救いを求めました。
「呉は大豚や大蛇(封豕長蛇)かのように中原を食いつぶそうとしています。」
 おお!やっと出てきました、「封豕長蛇」!
 最初、秦の王は要請に答えようとしませんでしたが、申包胥が7日間一滴の水も飲まずに哭声を上げ続けたのに心を動かされました。
「楚の王は無道であるが、このような家来がいる楚を絶やすわけにはいかない。」
 そう言って、救援したのでした。
 話はまだまだ続きますが、封豕長蛇が出てきたので、今回はここまでとします。続きや、もっと正確なことは史記・伍子胥列伝、楚世家、呉太伯世家、或いは春秋左氏伝をお読みください。

 蛇に関係する言葉、最後に「蛇蚹蜩翼(だふちょうよく)」というのを紹介しましょう。これは荘子の「斉物論篇 第二」に出てくる言葉で、私の感触では「封豕長蛇」よりこちらを覚えておいた方が役に立つような気がします。「荘子・斉物論篇」は荘子の核となる篇で、最後におそらく荘子でもっとも有名な「胡蝶の夢」が出てきます。
 「胡蝶の夢」は、一言で言えば、
「あ〜、わからない〜。誰が誰だかわからない〜。夢かホントかわからない〜。」
ということで(そういうことなのか!)、その直前に影と罔両(もうりょう:薄い影)との会話があります。
 会話の内容の大筋は「主体が何なのか、あ〜、わからない〜」で、その中の影の言葉に蛇蚹蜩翼が出てきます。
「蛇が歩くときは蚹(うろこ)で歩く。だから蚹は『オレが歩いているのさ』、と言うかも知れぬ。しかし、蛇がなければうろこが動くわけがない。また蝉の羽は『オレが飛んでやってるのさ』というかも知れぬが、蝉がいて初めて羽が動くのだから、蝉が羽ばたかせているとも言える。どっちがどっちだかわからないし、そんなもの、知ろうとも思わないね。」
 万物斉同の立場から見れば、一切が相互に依存し、絶対的なものはない、というのがここでの荘子の主張です。
 

 「ちゅうごくちゅうどく」も今回で49回、次回は節目の50回を迎えます。蛇にまつわる故事成語は今回で終了、次回は50回特別記念と銘打って、十二支の故事成語から離れて何か書いてみましょう^^。
 それにしても、日本フィルの50年史はどうなってしまったのだろう・・・
 

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