猪にまつわる故事成語(一)

第43回猪にまつわる故事成語(一)

 今回は猪にまつわる故事成語を調べてみます。ご存知の通り、今年の干支はイノシシです。干支は元々中国で生まれてそれが日本に伝わったものですから、干支で歳を表す習慣はあちらが本家です。当然、中国でも今年は猪年(亥)なのですが、ただ違うのはイノシシ年ではなくブタ年だということです。えっ?中国では「猪」って本当にブタのことなのぉ〜?とお疑いになる方はどうぞ西遊記の猪八戒を思い浮かべてみてください。あのお方はその風貌や性格が示す通り、正真正銘のブタであって、決してイノシシではありません。ということで、今回はイノシシとブタを干支として取り扱います。ちなみに中国でイノシシのことは野猪と書きます。
 ブタ、イノシシ関連ですぐ頭に浮かんでくるものと言えば、「豚に真珠」、「ブタもおだてりゃ木に登る」、「猪突猛進」くらいです。最初の「豚に真珠」は新約聖書のマタイ伝に出てくる言葉です。「豚に真珠を投げるな」が元々の表現で、意味は現在と同じ、「どんなに貴重なものでも、その値打のわからない者にはなんのありがたみもない」ということです。次の「ブタもおだてりゃ木に登る」ですが、これが知られるようになったのは極々最近だそうです。どのくらい最近かというと、1970年代ということですから、慣用句の仲間入りの資格があるのかどうかも定かではありませんが、少なくともゴマンとある一過性の流行語でないことだけは確かです。元々会津地方で使われていたもので、アニメ「ヤッターマン」、「ゼンダマン」などで使われて世に広まったとも、つのだじろう氏の作品、「豚もおだてりゃ木にのぼる」で世に広まったとも言われています。
 最後の「猪突猛進」は中国に典拠を求めることができます。西漢と東漢との間に新という王朝があります。外戚一族の王莽という人が皇帝になったのですが、皇帝になる前の仮皇帝時代を除くとわずか15年しか続かなかった短命王朝です。どうしてこうも短命で終わったのか、理由は色々あるでしょうが、簡単にいうと極端な「昔は良かった(から、昔に戻そう)」主義が原因だったように思います。温故知新の一環として昔を手本にするならまだしも、昔そのものに帰ろうとしたのですから、これはもう現実に目をつぶる以外になく、それではうまく行くはずもありませんでした。王莽が考えた昔とは周のことでした。考え方の基本には儒教があり、何やら孔子さまと似ています。ひょっとしたら、自分は孔子の再来であると考えていたのかも知れません(勝手な想像)。自分の考えを実現させるために偽書を作った疑いも持たれています。
「周の時代の本を見つけたんだぎゃあ。これをお手本としよまいか」
 ・・・悪いやっちゃなあ。
 あー、王莽の罪状を論じる場ではありませんでした。王莽は決して名君とは言えませんが、当時、たとえ中国でベスト3に入る皇帝であったとしても頭を悩ませる問題がありました。匈奴の侵攻です。あの劉邦や呂后でさえ屈辱的な目に遭っています。武帝の時に衛青や霍去病の活躍もあって一時的に匈奴に対して優位に立ったこともありましたが、西漢末から新にかけて国が乱れ勢いが衰えてくると匈奴の南進が再び始まりました。漢書・食貨志に次のように記されています。
「(新の時代)、匈奴の侵寇がはなはだしく、莽は天下の囚徒・奴僕から兵を募り、名づけて豬突豨勇(ちょとつきもう)といった。」
 豬は今の猪、豨も「いのこ」のことです。ここで注意しておきたいのは、これってブタが走ったの?ということです。冒頭に猪はブタのこと、イノシシは野猪という、書きました。しかし、これは今の認識で、「昔はその区別があまりはっきりしていなかった」、諸橋轍次は「十二支物語」でそう指摘しています。豚と書いてイノシシを表すこともあるそうです。元々ブタはイノシシを家畜化したものですから、2000年前のブタは今よりももっとイノシシに似ていたかも知れません(勝手な想像)。ですから王莽が名づけた豬突豨勇という軍隊も、それがブタを念頭に置いていたのかイノシシだったのか今となってははっきりわかりません。使われる漢字はその種類によって、或いは地域によって異なるようです。戚夫人がされてしまったのは人彘ですが、この字は河南で使われていたようです。呉楚では豨、燕では猳(犭+【暇や瑕という字の旁】)、南楚ではキ(犭+希)、梁州ではショウ(豕+聶)など、見たこともない漢字が出てきます。
 王莽は「猪突猛進」の他にもう一つ後世に残る故事成語を残しています。それは「酒は百薬の長」です。これも漢書・食貨志に載っています。塩、酒、鉄を専売制にしたときの詔に
「それ塩は食肴の将、酒は百薬の長、嘉会の好、鉄は農耕の本」
とあります。塩は料理に肝心なもの、酒は最もすぐれた薬であり、おめでたい会に似合うもの、鉄は農業の基本である、という意味です。だから専売制にせんといかんがね、となるわけですが、要は「財源が欲しいんだわ」なのです。正直に「お金払わなかんわ」と言えば良いものを、色々ともっともな理由付けをするため、陳舜臣氏は王莽のことを「格好をつけたがる人」と評しています。とにかくこの「酒は百薬の長」は世の酒飲みから絶大なる支持を得ました。飲み始める前にこの呪文を唱えさえすれば、とりあえずは飲酒の正当性を主張できるわけです。人物としての評価は低い王莽ですが、後世に残る成語を二つも残しました。この点に関しては大したものだと思うのです。
 さて、王莽のほんの少し後に、猪にまつわる故事成語がもう一つ生まれました。それが何であるかは次回のお楽しみということで、本日はここまでとします。
                                                                   
 

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