猿にまつわる故事成語(二)

第29回  猿にまつわる故事成語(二)

 猿にまつわる故事成語は、猿芝居、猿真似、猿に烏帽子、犬猿の仲、猿知恵など、日本産には事欠かないのですが、中国産の、それもよく知れわたっているものとなると、意外に少ないというのが実情のようです。その辺りのことは、諸橋徹次氏も「十二支物語」の申(猿)の項で、「調べてみると、案外材料がないので閉口いたしました。」と述べておられます。ということで、今回の「猿にまつわる故事成語」は無理やり捜し出してきた感が拭えませんm(_ _)m。本題に入る前に一言、今挙げた日本産ことわざのうち、猿に烏帽子(「猿の烏帽子」とも)は、前回取り上げた「沐猴にして冠す」と同じ意味ですが、「沐猴にして冠す」が元になって、そこから発達したのかどうかは、はっきりしません。また、「犬猿の仲」は、例えば、孫悟空が二郎真君の犬にがぶりとやられるなど中国にもありそうなのですが、仲の悪いことを表現する場合中国では、「不倶戴天」や「水火不相容」などを使うようです。
 それでは、最初は「意馬心猿」です。馬がむやみに駆け回り、猿があちこちで騒ぎ立てるさまのことで、そういう輩は取り静めるのが難しいというところから、妄念や煩悩など、心の乱れが抑えられないことを言います。出典は参同契という仏教の経典で、唐の時代(8世紀)の石頭希遷禅師のという人の作です。参同契という経典は、もう一つ、周易参同契というものがあります。これは道教の経典で、道教というとなんとなくいかがわしいのですが、これは魏伯陽という漢末、呉の仙人の書で、こちらの方が先に出来ています(あたかも、仙人が実在するような書き方をしていますが、私はそういう方針を採っています\(^O^)/)。こちらは「しゅうえきさんどうけい」と呼び、石頭さんの「参同契」の方は、これと区別するために「さんどうかい」と呼ぶことになっています。ま、深遠なる知識を見せびらかすには絶好のチャンスですが、すくなくとも私が所属するオーケストラの人で、これを見せびらかせる場面に居合わすことは、まずありますまい・・・ひひひ。
 ところで、どうでもいいことですが、この「意馬心猿」、参同契の本文には載っていません。その、前文のようなところに出てきます。どうでもいいついでに、これは心猿意馬ともいうことがあります。が、意馬心猿と使っておいた方が無難です。西遊記に出てくる言葉なので私には比較的馴染みのある言葉なのですが、普通はどうなんでしょうか。書けば書くほど面白くなくなってくるので次、行きます。
 淮南子の説山訓に次のような話が出ています。楚の荘王が飼い猿に逃げられたので、(それをつかまえるために)林の樹は(伐られ)そこなわれた。宋の君が真珠をなくしたので、(それを探そうとして)池中の魚はほされて尽きた。
 ここには荘王の話と宋の君の話の二つ出てきますが、後半の魚の話から「殃(わざわい)池魚に及ぶ」という成語が生まれました。思いもかけないところに災いが及ぶという意味です。ま、猿にまつわる故事成語とは言えないかもしれませんがね。オマケみたいなものです。この楚の荘王というのは、「三年鳴かず飛ばず」や「鼎の軽重を問う」で故事成語の所謂「顔」になった王さまで、ひょっとすると、「池魚」ではなく、「殃山木に及ぶ」という風に、こちらでも名を残したかったなあと思っているかも知れません。一方の宋の君というのは、春秋時代の宋の景公と呼ばれている王さまです(正確には王さまというのは正しくありません、王さまは周室の主君のことですから)。この景公は「宋襄の仁」で有名な襄公から五代目くらい後の王さまで、この辺りの話は呂氏春秋の必己篇にも出ています。
 宋の太夫、桓司馬は宝珠を持っていたのですが、罪を犯し出奔した時、王が人を遣わして珠の所在を問いただしたところ、「池の中に投げ込んだ」と言ったので、池の水を全部汲み出しましたが、結局、珠は見つからず、挙句の果てに池の魚は全部死に絶えてしまいました。
 これが呂氏春秋に出ている話で、紀元前479年のことです。 紀元前479年がどの辺りの頃かというと、孔子が亡くなった年に当たります(説により、一年の誤差有り)。
 この他というと「猿猴捉月」というのがあります。「エンコウソクゲツ」と読み、また、「猿猴月を捉う」、「猿猴月を取る」とも言います。諸橋徹次氏の「十二支物語」では「痴猿月を捉う」として出ています。これは摩訶僧祇律(マカソウギリツ)という生活規範を書いた戒律書に出てくる話で(未見)、猿が水中に移った月影を取ろうとして、木から落ち溺れ死んでしむ話から、出来ないことをしようとすると失敗する例えとして用いられています。 この話は美術の世界ではかなり有名で、これを題材にした美術品はかなりたくさんあるようです。
 こんな感じで、かなり苦しい「猿にまつわる故事成語」ですが、苦し紛れに「三猿」の話をしちゃいましょう。ふつう「サンエン」と読みますが、「サンザル」ともいうようで、何のことかというと、日光東照宮にある左甚五郎作のあの有名な「見ざる、聞かざる、言わざる」のお猿さんのことです。このお猿さん、何も徳川家の専売特許でもなんでもなく、いたるところにあります。私は軽薄にもこの三猿、日本古来のものだと何の疑いも持たず頭から信じ込んでいました。何故なら、何故これを演じる動物が猿なのかというと、日本人がチョー好きな「〜ざる」は「猿」に通じるという、まるで「根拠無し!」と叫びながら、危険牌をぶった切る、自己陶酔型勝負師と同じ論理(非論理)で成り立っていると思ったからです。ところが、ぎっちょん、「見ざる聞かざる言わざる」という思想(?)は世界中にあり、それを表現している動物はなんと驚く勿れ、どれも猿なのです。
 是非このサイトを訪れてみてください。また、試しに「Three wise monkeys」で検索してみてください。三猿の英語サイトがごちゃまんとヒットします。
 結論を先に書くと、この素晴らしい生活の知恵を表現するのに何故世界中で猿を用いられているのか、という根本的な疑問に対する答えは、残念ながら見つけることはできませんでした。
 <<< 庚申信仰と三猿について >>>
 庚申信仰というのがあります。これは道教から発生したもので、簡単にいうと次のようなものです。庚申というのは十干十二支による数え方の一つで、その種類は全部で60種類あります。何故60通りなの?何故120通りじゃないのお?と疑問を持った賢いあなたのために説明しておきます。数学の教えるところによれば、十干の最初の甲に対して十二支が各々12通りきます。それぞれの十干に対して12通りの十二支が配せられる訳ですから、10×12=120通りになるはずです。ところが、奥の深い中国では、そんな単純な計算は通用しないのです。まず卦のあるノートの真ん中に縦線を引いて左右二つに分けたと思ってください。その左側には十干を書き込んで行きます。最後の「癸」を書いたらまた「甲」から書いていきます。一方右側には上から十二支を順番に書いていきます。最後の「亥」を書いたら「子」からまた書いていきます。 そうすると最初は甲子になります。次は乙丑です。問題は十干も十二支も偶数個だということです。 どういうことかというと11番目で十干は還りますから一番目の甲、十二支は11番目の戌、13番目は、十二支は還りますから、一番目の子、十干は、3番目の丙となります。即ち、奇数個めの十干と偶数個めの十二支、或いはその反対の結びつきは永遠にないということなのです。具体的に言うと、甲丑という組み合わせは存在しないのです。この説明でよくわからなかったら、一度、紙に書いてみると良くわかります。
 えー、庚申信仰の話でしたね。日本では、十干十二支は年にのみ当てはめていますが、本家本元中国では、月にも日にも当てはめます。例えば私の生年月日を十干十二支で表すと、甲午の年、壬申の月、己丑の日に生まれたのことになります。一体何年何月何日に生まれたのか判りますか?わかるのは、ははあ、午年か、ぐらいですよね。
 道教では人間の体内に三尸(さんし)というものがおり、これが庚申の日(60日ごとに巡ってくる)、人間が寝ている間に、天の神にその人の行いを報告しにいく、と信じられていました。天の神はその報告をもとに、その人間の寿命を決めるわけです。しかもこの三尸、その人の悪い行いを重点的に報告するらしいので、人間はなんとかして、報告に行かせない方法はないものかと知恵を絞りました。そこで考えついたのが、庚申の日には寝なきゃよかんべ、でした。これを守庚申と言います。それとは別に、薬や呪いで三尸を駆除する方法も考えられていました。
 日本にこの庚申信仰がいつ伝わったのかははっきりとはわかりませんが、円仁の入唐求法巡礼行記に夜,「人みな睡らず。本国正月庚中の夜と同じ」とあるところから、平安時代には守庚申の習わしがあったのだと思います。その後15世紀後半、守庚申の手引きみたいなものが「庚申縁起」という形で僧侶によって編まれ、ここで仏教と結びつくことになります。仏教と結びつくと、偶像が作られるのは自然の流れ、「青面金剛(しょうめんこんごう)」という庚申塔が建てられるようになります。そしていつの間にか青面金剛の代わりに猿を彫ったものが現れます。何故、猿かというと庚[申]信仰だからなのです。そして、最初は一体だった猿が、三尸の「三」と結びつき三体になりました。
 以上が庚申信仰と三猿が結びついた由来だと言われていますが、これではアフリカに三猿が存在する訳が判然としません。誰かご存知の方、教えてください。
 さて、三猿とは別に四猿というのもあります。前に紹介したウェブサイトの中国のところにその写真があります。その向って一番右側のお猿さんが、4匹目の猿です。意味深長な格好していますね。これは、「せざる」なのだそうです。論語の顔淵第十二の冒頭部分に「非礼勿視、非礼勿聴、非礼勿言、非礼勿動」という言葉があります。「礼の規則からはずれたものに目を向けてはいけない、礼の規則からはずれたものに耳を傾けてはいけない、礼の規則からはずれた発言をしてはいけない、礼の規則からはずれた動作をしてはいけない」という意味です。これから察すると、「せざる」とは「礼の規則にはずれた動作はしない」という意味ですね。やはり意味深長です^^
 

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