酉にまつわる故事成語(一)

第30回  酉にまつわる故事成語(一)

*お詫び この項で《鶏口牛後》と書くべきところを《鶏頭牛後》と書いていました。2か所訂正いたしました。2009.1.15

 今回から酉にまつわる故事成語を調べたいと思います。まず、この「酉」という字ですが、他の多くの干支を表す字と同じく、鳥とは全然関係ありません。「酒」という字に似ていますが、元々、酒壺を表しています。それでは何故この字が鳥になったのかというと、酉の字の古い形が鳥の字の古い形に似ているところから酉を鳥にしたようです(竹内照夫説)。諸橋徹次は酉は酒を盛る器であるとしています。
 以上のように酉は鳥なのですが、何故か鳥=鶏なのであって、駝鳥とかペンギンでは駄目なようです。まあ、駝鳥やペンギンは中国にいなかったでしょうから仕方がないとしても(どこかの王さまが飼っていたかもしれませんが)、雀とか鶴とかはいた訳ですからね。多分、一番身近で有用(食用?)な鳥ということで、鶏が選ばれたのでしょう。そういう訳で酉=鶏なのですが、ここ、「ちゅうごくちゅうどく」では鶏を中心にしながら、その他の鳥の成語も取り上げて行こうと思います。なお、鶏と雞とは同じ字で、鶏の旧字が雞です。
 鶏にまつわる故事成語の中で「鶏口牛後」は既に「牛にまつわる故事成語の2回目」で取り上げたので、そちらをご覧になってください。「鶏頭」という花がありますが、故事成語じゃないか。。。
 それでは、最初は有名どころから始めましょう。「鶏鳴狗盗」です。多分「鶏口牛後」と並んで、酉の部では、2大有名故事成語でしょう。出典は、史記の「孟嘗君列伝第十五」です。典拠となった孟嘗君列伝の該当部分を書き出すのも今さらという感じで、そんなこと知っとるわい!馬鹿におしでないよ。と怒られそうですが、しかし、そう思いながらも読み進んでいくと、不思議と、そうそう、確かそうだった、それでその後はこうなるんだよね、ネ、やっぱり、ウフフフ・・・と何か、筋を知っている落語を何度聴いても飽きないのと似たような気分になるかも知れませんので、書いちゃおうっと^^
 孟嘗君は姓は田、名を文と言い、斉の威王の孫に当たります。お馴染み、田秋先生は、その子孫に当たります(ウソです)。薛に住み、諸侯の賓客であったものや、罪を得て亡命した人なども招き寄せ、財産を投げ出して厚遇していました(いわゆる食客)。BC299(斉の湣王25年)、孟嘗君は秦に赴きました。これは秦の昭王の招きに応じたもので、昭王はすぐさま孟嘗君を宰相にしたのですが、ある人の讒言を信じ、彼を殺すことにしました(どうも昭王は暗愚だったような気がする)。それを察知した孟嘗君は昭王の寵愛の婦人のもとへ人をやり、とりなしを乞いました。その婦人は、「あなたが持っている狐の白い毛皮の外套をくださるのなら、殿様にお話してみましょう。」と言いました。ところが、孟嘗君はその外套を既に昭王に献上してしまっていたのでした。困って、客分に相談したところ、末席にいた盗みの上手な男が、「取ってきましょう。お任せください。」と答えました。 そして男は夜陰に乗じ、犬のまねをして宮中に忍び込み、倉庫から外套を盗み出し、孟嘗君はそれを婦人に献上しました。婦人は約束を守りうまく昭王にとりなし、昭王は孟嘗君を釈放しました。孟嘗君は夜半に函谷関に到着しましたが、一方、昭王は釈放したことを後悔し、早馬で追わせました(やっぱり昭王は暗愚だったような気がする)。
 関は鶏が鳴いたら旅行者を通すことを掟としていましたが、孟嘗君は関が開く前に追っ手が来るのを恐れていました。客分の中に鶏の鳴き声のまねがうまい者がおり、それが鳴きまねをすると他の鶏も一斉に鳴き始めたので、役人は関を開け、孟嘗君は無事、通過することが出来ました。追っ手が到着してのはほんの暫く後のことでしたが、孟嘗君が既に関を出立したと聞くや、追うことあきらめ引き返しました。
 以前からいた客分は最初、この二人が自分たちと同格の客分であることを恥じだと思っていましたが、この二人の機知で孟嘗君が助かったので、改めて孟嘗君の眼力の確かさに感服したのでした。
 以上が、鶏鳴狗盗の件(くだり)です。どうですか、皆さんの記憶と合ってましたあ?犬(狗)のまねをして外套を盗む、というところと、鶏の鳴きまねのところを取って、鶏鳴狗盗(何故、狗盗鶏鳴と言わないのだろう)という言葉が生まれました。意味は二つあります。
1. (細工をする)卑しい人のこと。
2. どんな下らない技能でも、役に立つことがあるということ。
 どうも、1.の意味の方が一般的なようで、2.の意味が掲載されていない辞書が多いようです。私は、この部分を話の出典にするのなら、2.の意味の方が妥当だと思うのですがね・・・。なお、狗と犬の違いはよくわかりませんが、大体同じ、と考えて良いようです。
 昭王の寵愛する婦人が求めた「狐の白い毛皮の外套」は「狐白裘」と呼ばれるもので、狐の腋の下の白い毛だけで作った外套で、チョー贅沢品です。孟嘗君の持ち物として有名なものだったのでしょう。

 鶏と犬のカップルの成語に「鶏犬相聞」というのがあります。読みは「(鶏犬)けいけん、(相)あい(聞)きこゆ」で、人が多く住み、国も豊かであることを指し、そのことから平和を意味することもあります。出典は色々あります。古いところでは老子第80章に出てきます。これは「小国寡民章」とも呼ばれる有名な章です。大意は
「小さい国で人民も少ないところで、便利な道具があっても使わないようにさせ、自分の命を大切にし、遠い土地に行かせないようにする。縄を結んで約束とし、今食べているものをうまいとし、今着ているものを心地良いとし、住まいに落ち着いて生活させ、(その)習慣を楽しませれば、隣国が、たとえ鶏や犬の鳴き声が聞こえるくらい近くであったとしても、人は老いて死ぬまでお互い往来することもないであろう。」
です。ここでは、鳥や犬の鳴き声が聞こえるくらい「近い」という意味いで使われています。また、この章全体が描くものは理想郷の一つです。なおここでは「鶏犬之声相聞」となっています。
 次に、荘子の外篇・胠篋篇第十に2箇所出てきます。荘子は次のように述べます。
「こそ泥対策で財宝を箱にしまい錠を掛けるのは、大盗賊のお手伝いをしているようなものではないか(箱ごと持って行けば良いから)。それと同じようなものが知恵である。昔、斉の国は、村と村が隣り合って続き、鶏や犬の鳴き声がどこへ行っても聞こえるほど人口が多く、栄えていた。漁業も農業も栄え、その及ぶ範囲は2千里四方にもなった。宗廟や社稷は祀られ、行政区域を治める制度は、聖人が定めた法に何一つ合わないものはなかった。ところが田成子は斉の君主を殺し、一朝にして国を盗んでしまった。しかも、盗んだのは国だけではなく、聖人の知恵で作られたその制度も合わせて盗んでしまったのである。田成子は国盗人の汚名は受けたが聖人の知恵をも盗んだが為、国は安泰であった。」
注:実際、斉を奪ったのは田成子の曾孫の田和
 ここで荘子は知恵の限界を述べているのですが、それは鶏犬相聞には直接関係ないので深入りしないことにします。
 もう一箇所は、先ほどの老子の「縄を結んで約束とし〜」以降と殆ど同じです。該当部分は「雞狗之声相聞」です。
 史記律書にも出てきます。ここでは「鳴雞吠狗」となっていますが、意味は同じです。前漢文帝の治世の様子を、
「人民には課役なく、安心して農事に励むことができた。天下は大いに富み、粟の値段も一斛十余銭と安くなった。人家は増え鶏や犬の鳴き声、炊事の煙が万里も続くかのようで、平和で安楽な世であった。」
と述べています。
 最後に桃源記(桃花源記)を紹介しましょう。これは陶淵明の作と言われる「捜神後記」に納められている話ですが、作が陶淵明というのはかなり疑わしいらしいです。魯迅などは、陶淵明が鬼人の話に心をひかれるような人物ではないから偽作である、と少々乱暴な断定をしています。それはさておき、話の内容は次のようです。
 晋の太元年間(376−396:孝武帝の年号)に黄道真という漁師が、ある日、谷川を上っていくと、突然、桃の林が現れた。川の両岸に数百メートルに亘って桃の木が続いている。さらに奥へ進んでいくと、林が尽き、水源に辿り着いた。そこには一つの山があり、そこに小さな洞穴があるのを見つけた。そこで、漁師は中に入ってみたが、最初は狭く、やっと人一人が通れるほどであったが、さらに進むと目の前がぱっと開けた。そこには家が立ち並び、手入れの行き届いた田畑があり、鶏や犬の鳴き声が聞こえる。そこの住んでいる人たちはのんびりしており、大変楽しげであった。漁師に気がつき、びっくりして寄ってきた人々に、どこから来たのかと尋ねられ、ありのままを話した。村人は酒や鳥でもてなし、そうこうするうちにもっとたくさんの村人が集まってきて、言うには
「わしらの祖先は秦のころ、戦乱を避け、家族を引き連れ、ここへ移り住み、それ以後は外へ出ることはなかった。いったい今は誰の御世なのか」そこで知っていることを話して聞かせた。もてなしを数日受けた後、帰ることにしたが、その時、村人から「ここのことは他言無用」と言われた。漁師は帰る道すがら、ところどころに目印をつて帰り、太守に報告した。しかし、その道は二度とわからなかった。
 これが桃花源記の話です。ここでも鶏や犬の鳴き声がユートピアの象徴となっており、老子の「鶏犬之声相聞」がずっと継承発展されてきたことがわかります。この桃花源記はユートピアの話として特に有名ですが、中国のユートピアの典型をここに見ることができます。所謂、「壺中天」です。洞穴がその代表で、そこを抜けると別世界があったというものです。また、壺の中に別の世界があるというのもよくある話です(神仙伝:壺公)。この洞穴にしろ壺にしろ、何を表しているのかというと、何と子宮なのです。子宮の中にユートピアがあるという、いや、子宮だからこそユートピアなのかも知れません。これがさらに発展してくると、生まれ変わりの場所としての役目を負うようになり、孫悟空が五行山に500年閉じ込められて再生したり、太上老君の八卦炉に49日間閉じ込められたりするわけですが、ユートピア=子宮=再生については、いずれ「よくわかる西遊記」の方で触れることになると思います。
 酉にまつわる故事成語、今日はここまで。
 

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