馬にまつわる故事(二)

第十一回  馬にまつわる故事成語 (二)


 馬にまつわる故事成語の二回目です。
 一口に馬にまつわる故事成語といっても、いくつかの型に分けることができます。まず、(1)故事成語自身に「馬」という文字が入っているものと、(2)その故事の成り立ちには馬が関係するけれども故事自体には「馬」という文字は入っていないものに分けることができます。さらに、馬の文字が入っている故事を、それが動物の「馬」であるものと、「人」の名前としての「馬(例えばチェリストのヨーヨーマさんは馬友友ですね)」であるものに分けることができます。同じことが(2)にも言えます。
 では、分類(1)で動物の馬が関わっているものを挙げてみると、「馬耳東風」、「天高く馬肥ゆる秋」、「人間万事塞翁が馬」、「竹馬の友」、「馬鹿」など、たくさんあります。「馬鹿」はこれ一つで一回分書けそうです。今日は「竹馬の友」を調べてみたいと思います。
 今では「子供のころから良く知っている仲」という意味で使われ、「仲良し」とか「親しい」という意味を含んでいます。ところが、最初の使われ方は違っていました。出典は「世説新語」という本で、後漢末から東晋末までの貴族社会の逸話を集めたものです。後漢は220年に、東晋は420年に滅んでいますから、大体その辺200年くらいの逸話集です。このあたり、日本では何をしていたかというと、卑弥呼さんが活躍したり、大和朝廷が国土統一をしたりしています。
 さて、竹馬の友は東晋後半頃の話で、誰と誰とが竹馬の友であったのかというと、それは桓温という人と殷浩という人でした。二人とも軍人で殷浩の側近にはあの王羲之(書聖と謳われている人)がいました。王羲之さん、元軍人だったんですね。
 桓温という人はひょっとしたら東晋を乗っ取ったかもしれない人です。それほどの軍事力を掌握していました。殷浩は官途につくつもりは全くなかったのですが、桓温の勢いに対抗するため皇帝(簡文帝)に懇望され、政治の世界に引っ張り込まれました。そういうシチュエーションでしたので、当然、二人は反目しあうようになりました。あるとき、殷浩は戦に負けたため、桓温はすかさず殷浩の罪を並べ立て、ついに殷浩は庶人に落とされ、地方に流されてしまいました。その時に桓温がいった言葉、
 「わしは子供のころ、殷浩と竹馬で遊んだが、わしが竹馬を乗り捨てるとやつはそれで遊んでいた。だからわしの下になるのは当然さ」
 これが、「竹馬の友」にまつわるお話です。ここで桓温が言いたかったことは、子供の頃から自分の方が上だったということですから、今とはニュアンスがだいぶ違います。
 余談ですが(余談ばかりだという噂)、その後、桓温は簒奪一歩手前までいったのですが、病死して夢は叶えられませんでした。しかし桓温の子の桓玄という人は、時の皇帝・安帝を廃し、自ら皇帝となって「楚」という国を打ち立てました。ここで東晋は一旦滅亡するのですが、三ヵ月後に劉裕に倒され、安帝は復位します(404年)。しかし実権は劉裕が握り、皇帝はもはや傀儡に過ぎず、420年、皇帝(安帝は劉裕に殺され、時の皇帝は恭帝)を廃した劉裕は自ら帝位に就き国号を「宋」とし、ここに東晋は滅びました。普通、この宋は他の宋と区別するため、劉宋と呼ばれています。

 次に分類(1)で馬さんが登場するケースです。「泣いて馬謖を斬る」を調べてみます。
 これは大変有名なので、諸葛孔明が部下の馬謖を斬ったということは大方の人はご存知ですね。諸葛孔明は馬謖の兄の馬良と大変仲がよく、才能ある馬謖のことを自分の弟のように可愛がり、その大成をひそかに楽しみにしていました。ただ、劉備はそれほど高くは買っておらず、この辺り、劉備の人を見る目というものを感じさせます。
 227年、蜀軍は魏を討つべく、長安へ向かいました。そのときの魏の将軍は司馬仲達で、この司馬一族が265年魏を乗っ取って晋を打ち立てることになります(西晋)。魏が蜀を滅ぼしたわずか2年後のことです。
 話は227年に戻り、蜀が魏を攻めるわけですから軍は北上することになります。その途中に街亭というところがあり、もしここを魏に取られるようなことがあると補給路を断たれることになります。ここを守るということは糧道の確保という意味で大変重要です。馬謖はその大役に「やらせてください」とみずから名乗りをあげました。孔明は彼がまだ若く経験不足であり、又、相手はあの司馬仲達でもあったので不安ではあったのですが、結局、作戦を預けて彼に当たらせることにしました。ところが、その戦いで馬謖は敗れてしまいました。しかも孔明の作戦指示を守らなかったのです。馬謖は罪を問われ、投獄され死刑を言い渡されました。
 「いまだ天下が平定されていないのに智謀の士を殺すとは、まったく惜しい」
と言う人がいました。それに対して孔明は
 「馬謖は惜しむべき男である。しかし、私情を挟むことは彼の犯した罪よりも大きな罪である。惜しむべき者であるからこそ、なお断じて斬って大義を正さなければならない」
 馬謖が刑場へ引かれていくと、床に伏して泣きました。
 「馬謖よ、許してくれ。本当の罪は自分にあるのだ。しかし、私は生きてお前の死を生かさねばならないのだ」
 書いていても目にジワッときます。
 前の「竹馬の友」の桓温、桓玄、劉裕、安帝と言い、この、後漢が滅亡し、魏蜀呉が鼎立し、魏が蜀を滅ぼし、その魏を司馬氏が乗っ取り晋を立て呉も滅ぼしていくこの戦国時代と言い、まさに、人間がぎりぎりで生きていく時代でありました。
 馬の字が入らない「馬に関する故事成語」は次回にて。

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