馬にまつわる故事(二)

第十二回  馬にまつわる故事成語 (三)


 馬にまつわる故事成語の三回目です。
 前回は、「馬」という文字が故事成語の中で使われているタイプを見てみました。今回は、成語の中では「馬」という文字を使っていないタイプを見ていきたいと思います。
 最初は、「先ず隗より始めよ」
 出典は戦国策の燕策、意味は「言い出したものから始めよ」です。又、「手近なことから始めよ」という意味でも使われます。「隗」は「かい」と読み、戦国時代の燕の宰相、郭隗のことです。
 戦国時代、今の北京あたりに、燕という戦国七雄では比較的小さな国がありました。戦国中頃、斉は燕の政情不安につけ込んで攻め入り、領土の大半を奪ってしまいました。苦境のおりに即位した昭王は、失地回復に熱心でした。あるとき宰相の郭隗に
「斉に奪われた領土をなんとかして取り返したい。しかし、何と言ってもわれ等の国は小国だ。この上は人材を集めてことに臨むほかはないと思うのだが、何か知恵はないか。」 と問いました。すると郭隗が言うには
「昔、ある王様が、小役人に大金を持たせて千里の馬を捜させました。ところがその小役人、こともあろうに死んだ馬の骨に五百金出して買って帰ってきました。さあ、王様の怒るまいことか、『アホー!、バカァ!!、スカタン!!!、オタンコナァス!!!!』。するとその小役人、『死んでぃやあ馬にさえこれだきゃあのお金を払う王様のところにゃあ、千里の馬なんきゃあ、向こうからやってくるだがや。』(この小役人、中国の名古屋地方の出身でした。但し、未確認情報)と言いました。果たして、一年たたぬうちに、名馬が三頭も来たという事です。今、王様が是非とも人材を招きたいと思われるなら、先ず、この隗を手始めに厚くもてなすようにしてください。そうすれば、あの隗でさえが厚遇されている国ならと、人材は自然に集まるでしょう。」
 そこで昭王、隗に豪邸を与え、自分の師としました。果たしてその評判を聞いた楽毅(魏)、鄒衍(斉)、劇辛(趙)などが集まり、これらの人材の協力の元、遂にBC284年、斉を打ち破ることができました。
 以上がこの故事の由来です。この故事、一歩間違えれば、おいしい話、とりあえず、私にちょうだい、という話に聞こえるんですが・・・

 次は、「白眉」です。
 前回、「泣いて馬謖をきる」の話をしました。この馬謖、実は5人兄弟でした。5人とも才ある人物で、皆名前に「常」という字を持っていたので、当時、巷では「五常」と評判になっていました。その中でも、兄弟の上から2番目(定かではありません。今、ミュンヘンでこれを書いているので資料がないです。長兄だったかも。)の馬良という人物が一番優れていました。そして馬良の眉には白い毛が混ざっていたところから、馬良=白眉=優れた人物という連想が生まれました。そこから、他より優れた人のことや、ずば抜けているものを白眉というようになりました。
 出典はですね、ええと、三国志/蜀志/馬良伝です。間違ってたらごめんなさあい、お〜ほほほほお〜〜〜

 故事成語の話は、これでおしまい。
 先程も書きましたが、今、ミュンヘンにいます。今日は、久しぶりのオフで、マエストロ小林主催の夕食会がありました。ホテルのすぐそばの中国料理のお店で行われたのですが、そこに、すばらしい貝の嵌め込み細工がありました。(左の写真)
 以前、留学していた時にも、また、方々旅行した時にも感じたことなのですが、中国人のバイタリティというか、その土地に同化する能力には感服します。どこに行っても中国人がいます。そして、どこに行っても中華料理の店があり、その味はその土地の人の口に合ったものになっています。自分の主張は見失わず、それでいて、周りに融合しているのです。何故、文明が5000年も絶えることなく続いたか、なんとなくわかるような気がします。芯の強さと、柔軟性を持ち合わせているのですね。
 昔、ボルドーで食べた中華料理、あれはおいしかったなあ!日本の中華よりおいしいと思いました。今回も、ブレーメンで食べましたが、かなり塩気がきつくて、残念ながら、NG。でも、それもその土地の味覚に合わせているのであって、ブレーメンで食べた殆どのものは塩気がきつかったです。今日のお料理はおいしかった。やはり北に行くと塩気がきつくなるのかなあ。

 次回は「馬鹿」について調べようと思います。

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