兎にまつわる故事成語(三)

第42回  兎にまつわる故事成語(三)

 兎にまつわる故事成語の3回目、今日は「狡兎三窟」です。
 孟嘗君の食客の一人に馮諼(ふうけん)という人がいました。馮諼は戦国策の斉策や史記の孟嘗君列伝に出てきます。史記では馮驩(ふうかん)となっています。私は史記の方を先に読んだので馮驩に馴染みがあるのですが、《狡兎三窟》のエピソードは戦国策に出てくるので、今は馮諼と表記することにします。
 馮諼は孟嘗君の食客の一人です。食客というのは、何か才能があって、客分として人の家に抱えおかれる人のことで、孟嘗君は3000人の食客を抱えていたと言われています。鶏鳴狗盗の話で鶏や犬の鳴きまねをした人も食客です。
 馮諼には大きく分けて三つのエピソードがあります。待遇に不満だったので刀を叩きながら「もう帰ろうかな・・・」と歌っていたこと、借金の取立てに行かせたところ証文を焼き捨てて帰ってきたこと、そして今日のお題の狡兎三窟です。
 ある日馮諼が孟嘗君に向かって
「すばしこい兎でさえ三つの窟(=穴)があってどうにかこうにか死を免れているに過ぎません。今、君(くん)には窟が一つしかなく、枕を高くしておやすみになるわけにはまいりません。君のために窟をもう二つ掘ってまいりましょう。」
 この言葉には少々説明が必要です。孟嘗君が持っているただ一つの窟というのは彼が領主をしている薛(せつ:地名)を指しています。直前まで孟嘗君は斉の宰相をしていたのですが、時の斉王、湣(閔)王が孟嘗君を煙たがり、宰相の職を解任してしまいました。そういうわけでこのときは薛に帰っていたのですが、解任と同時に多くの食客が孟嘗君の下を離れる中、馮諼は一緒に薛へ行きました。
 それで馮諼は何をしたのかというと、まず戦車五十乗と金五百斤を持って魏へ行き、王さまに
「斉では孟嘗君を手放しました。彼を迎え入れた国は豊かになり兵を強くすることができるでしょう。」
 孟嘗君の才能や手腕は天下に知れわたっていたので、魏ではすぐさま宰相の地位を空け、戦車百乗と金千斤を持たせて使者を遣わしました。馮諼は密かにその使者を追い抜いて孟嘗君のところに戻ると
「魏から使者が参りますが、すぐに宰相をお引き受けになってはいけません。斉がうわさ聞きつけてやってくるはずです。」
とアドバイスをしました。
 魏からの使者が孟嘗君を訪れたのを知った斉は案の定心配になり、詫びの使者を遣わし、臨淄(斉の都)へ戻るようにと頼みました。そこで馮諼は
「湣王(斉のおうさま)は信用できませんが、一旦はお引き受けなさいませ。そのとき、薛に先代の宗廟を建てることを斉王に願い出るのです。」
 孟嘗君の願いは叶えられ廟が薛に出来上がると馮諼は
「さあ、これで窟が三つ出来上がりました。君には枕を高くしてお休みになれます。」
 これが「狡兎三窟」のエピソードです。二つ目の窟は魏の宰相のポジションです。孟嘗君がOKすればいつでも魏は迎え入れるという状況です。さて三つ目の窟はというと、薛に建てられた先代の宗廟ということになるのですが、何故これが窟になるのでしょうか。最初どうもしっくり納得できなかったのですが、何かがあって孟嘗君が逃げ帰ったとしても、湣王は父の廟がある薛を攻めることはできない、ということのようです。
 意味は、「いざというときに身を隠す場所」なのですが、気をつけなければならないのは、これがマイナス評価を表す言葉だということです。ですから、「備えあれば憂いなし」とか「用意万端」とかの意味を込め、相手を褒めようとして
「あなたが予備を持っていて本当に助かりました。狡兎三窟ですね。」とか
「あなたの会社のパソコンは二重三重のセキュリティが施してあって、実に狡兎三窟ですなあ。」などとは使えません。
「二足の草鞋を履くなんて、ズルイ奴だな。狡兎三窟だよ、君は。」とこのように使います。
 「狡」という字で、真っ先に思い浮かぶのは「ずるい」という意味です。実際、この字が使ってあると9割以上は「ずるい」という意味ですが、この場合は「すばしこい」という意味だと思います。「狡兎死して走狗烹(に)らる」などもすばしこい兎という意味で、兎が「ずるい」必然性はないのです。ただ、「狡」の字面からどうしても「ずるい」という雰囲気が漂うのでマイナスの評価に使われるのでしょう。
 

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