牛にまつわる故事成語(五)

第51回  牛にまつわる故事成語(五)

 あけましておめでとうございます。50回記念《西遊記の13》を書いた後、ほげほげしていたら年が明けてしまいました。・・・もう1回分くらい書けると思っていたのになあ。。。
 何を書こうか迷っていたのですが、年が明け丑年になったので、以前、《大地の歌》で中断してしまった「牛にまつわる故事成語」の続きを書くことにしました。最近、話し言葉の中で故事成語を使うことは減ってきましたが、書き言葉の中ではまだまだ出会うものがあります。「牛」については既に4回書きましたが、今日はそういう書き言葉で見られる《角を矯めて牛を殺す》を取り上げます。
 《角を矯めて牛を殺す》を書き言葉専用と決めつけるのは危険かもしれませんが、ここ半年でこの諺を話し言葉で使った方がいらっしゃるとすれば、その方は素晴らしい知性集団の中で生活していらっしゃる方だと推察します。
 まずは読み方から。「角(つの)を矯(た)めて〜」と読みます。
 「角」は後に牛が出てくるので「つの」だろうと推測できますが、「矯」はけっこう難読かもしれません。読むだけではなく、この言葉を耳にしたとき、すぐに「矯」という字を思い浮かべるのも難しいのではないでしょうか。この字、比較的よく使う例として「矯正」というのがあります。「きょうせい」と読み、視力の矯正とか、姿勢を矯正するというように使います。こちらの方がお馴染みだと思います。最近、テレビのクイズ番組で漢字の出題をよく見かけますが、「矯」は漢字検定2級に配当されている漢字です。
 矯正から「矯」が「直す」という意味だとわかると、この故事成語の意味がなんとなくわかってきます。「角を矯めて」は「角を直して」となります。ご存じのように牛の角は少し湾曲しています。角を直すとは、その角をまっすぐに直すということで、曲った角を直そうとしているうちに牛そのものを殺してしまった、というのが額面通りの意味、そこから、些細なものに拘って本体をダメにしてしまうという教訓になります。
 意味は以上の通りですが、出典はというと「玄中記」というという、今は完全に散逸してしまった書物です。その本自体を読むことはもうできませんが、幸運なことに宋代に編纂された《太平広記》という当時の百科事典のような書物に玄中記の内容が抄録されています。その時現存していた本の内容を書き写しておく、それも国家事業レベルでそれが行われたということは、まるで本が後々散逸してしまうことを予測しているかのようです。また、散逸とまではいかなくても、当時の本の内容と現存するその本の内容が異なっている場合もあり、研究する上で大変な重要な役割を果たすことがしばしばです。例えば明のときに編纂された永楽大典には現行本には載っていない古い時代の西遊記の話が収録されています。ただ、偉大な中国のことです。今までにも驚愕の発見が何度もありますから、そのうち
「田秋王の陵から大量の竹簡が出土、幻の逸書《玄中記》か!?」
ということが起こらないとも限りません。

 さて、これと似た話が、荘子内篇《応帝王篇》にあります。(しゅく)という南海の帝と忽(こつ)という北海の帝が、中央の帝である渾沌(こんとん)のところで出会いました。渾沌はこの二人を大変手厚くもてなしました。感激したと忽は渾沌の厚意に報いようと相談しました。
 「私たちの体には7つの穴があって、これで見たり聞いたり食べたり息をしたりしているが、渾沌にはそれがない。ひとつ、穴をあけてあげたらどうだろうか。」
 そして1日に一つずつ穴をあけていったのですが、七日目になると渾沌は死んでしまいました。
 この話は寓意に満ちていいます。3人の帝の名前のうちと忽は、元は素早いという意味で、そこから機敏で利口という意味を持たせています。あるいはもっと深読みして、賢(さか)しらな知恵と言ってもよいと思います。渾沌は混沌とも書き、元は水が激しく流れわきたち渦巻く状態のことで、そこから一切が未分化で無秩序なことをいい、ここでは自然を象徴しています。賢しらな知恵で自然を殺してしまったという、荘子の強烈な主張がここにあるように思います。

 もう一つ、似た意味の言葉として、「助長」があります。この言葉には二つ意味があり、一つはいい意味で「人の手助けをする」ということで、こちらの使い方は時々見聞きします。もう一つが上の2例と同じ用法で、「孟子・公孫丑上」の話を出典としています。
 昔、宋の国のお百姓さんが、苗の成長の遅れを心配して、一本ずつ引っ張ってやりました。家に帰り、「今日は疲れたわい。苗を引っ張ってやったからのう」と話すのを息子が不審に思い畑へ行ってみると、苗はすっかり枯れていました。孟子は助長してはいけないとした上でこの話をしています。
 余談ですがこういう反面教師的な寓話のときは宋の人が登場します。宋襄の仁はモロ、宋の襄公ですし、杞憂も宋の人の心配事、株を守ったのも宋の国の人ということになっています。何故、宋の国の人なのか、ちゅうごくちゅうどくの読者ならおわかりですね^^
 

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