牛にまつわる故事成語(六)

第52回  牛にまつわる故事成語(六)

 2月1日に漢検準2級の試験を受けました。
 少し前になりますが、漢検を主催する日本漢字能力検定協会が儲けすぎているというニュースを目にしました。日本漢字能力検定協会は公益法人だそうです。公益法人という形態上、必要以上の利益を出すことは認められていません。ところが、このところのブームで累計約20億円(金額は諸説あり)の利益を上げていたそうです。要はこの金額は「必要以上の利益」に当たるということらしいです。
 今回受けるに当たって私は検定料2000円を支払いました。2級〜1級になると検定料は4000〜5000円になります。私見ですが、この検定料、高すぎるとは思いません。将棋の免状など、何万円もします。ある程度高くしないと、猫も杓子もダメ元で受けに来て、採点する方は大変です。
 日本漢字能力検定協会では漢検のための本もたくさん出しています。今回勉強のために買った「漢字学習ステップ・準2級」は1000円です。これも高いとは思えません。これより薄くて2000円以上なんて本、ざらにあります。漢検用の漢字辞典というのも買いました。2800円です。この種の辞典としては普通の値段です。通常の漢和辞典とはちょっと使い勝手が違いますが、見出しの字が大きい、書き順やトメ、ハネが事細かに書いてあるなど、使い慣れれば親切な辞典です。  漢字に対するブームが起こるということは、大変喜ばしいことで、漢検を受ける人や漢字を勉強する人が増えた結果、日本漢字能力検定協会が儲かったということなのですから、何もメクジラを立てて「けしからん」と言うこともないと思いますがね。

  閑話休題
 さて、牛にまつわる故事成語の6回目、今日のお題は《蝸牛角上の争い》です。この故事成語、牛という字が入っていますが実は牛ではありません。蝸牛は「カギュウ」と読み、カタツムリを意味します。カタツムリを牛の項で扱うのもヘンな話ですが、なにしろ、《ちゅうごくちゅうどく》は「何でもアリ」ですから^^
 出典は「荘子・雑編・則陽篇」です。話は以下のようなものです。
 魏の王さまが斉の王さまと同盟を結びました。ところが斉の王さまがこれを破りました。それに腹を立てた魏の王さまは暗殺者を仕向け斉の王さまを殺そうとしました。これを聞いた魏の将軍であった公孫衍は恥ずべき行為だと思い、魏の王さまに進言しました。
 「大国の君主が名もない暗殺者を使ってよいものでしょうか?私に20万の兵をお与えてください。斉の国へ攻め込み、人民を捕虜にし、牛馬を奪い、斉王が怒りと心労のために死ぬようにしてやりましょう。」
 この公孫衍の進言を聞いた季子は恥ずべきことを言うものだと思い、魏の王さまに進言しました。
 「戦争が止んでから7年になりますが、これこそ王者になるための大切な基礎であります。その公孫衍は平和を乱す人間であり、その進言に耳を貸すようなことがあってはなりません。」
 この季子の進言を聞いた華子はこれを恥ずべきことであるとし、魏の王さまに進言しました 。
 「斉の国を攻めるようにいう者も、攻めてはいけないという者も、平和を乱す人間です。そればかりではなく、私のようにどちらもいけないというものも是非の差別から離れていないのですから、やはり平和を乱す人間であります。」
 王さま
 「いったいどうすればよいのかね。」
 華子
 「殿さまはひたすら道を求めればよいのです。」

 恵子はこの話を聞いて、戴晉人を魏の王さまに会わせました。
 戴晉人
 「王さまは蝸牛(カタツムリ)というものをご存じでしょうか。」
 王さま
 「知ってるよ。」
 「蝸牛の左の角の上に国を構えているものがあってこれを触氏といいます。また右の角の上に国を構えているものがあって、これを蛮氏といいます。ある時二つの国が土地を争って戦いました。死者は数万に及び、勝ったほうが逃げる相手を追いかけ、15日もかかってようやく国に帰ったそうです。」
 「なんだ。それは作り話だろう。」
 「それでは私が、これが本当のことだということを証明してみましょう。王さまはこの宇宙は有限だとお考えですか。」
 「そりゃあ無限だろう。」
 「その宇宙の大きさからみれば、人が行くことができる場所などはあってもなくても同じくらいのものではありませんか。」
 「それはそうだ。」
 「その人の行ける場所のなかに、魏という国があり、その中に都の梁がありそこに王さまがいらっしゃるわけです。では、王さまとカタツムリの右の角にいる蛮氏とでは、どれほどの違いがありましょうか。」
 「なるほど。違いはないな。」
 客人の戴晉人が退出したあと、王さまは呆然自失のありさまでした。

 恵子が王さまに面会しました。王さまが言うには
 「あの客人は大物だな。堯舜だって彼にはかなうまい。」
 「笛を吹いたって、ひゅっという音くらいは出ますが、剣の握りにある小穴を吹いたのでは、すっという小さな音が出るのがせいぜいです。俗人の称賛を受けている堯や舜も戴晉人の前では、すっというような小さな音が出るのがせいぜいです。」

 荘子にしては実在の人物がけっこう出てきます。読者の方々は既にご存じだと思いますが、荘子三篇のうち、内篇のみが荘子自身の手によるもの、外篇、雑篇は後世の荘子学派の手によるものというのが定説です。これは雑篇に出てくる話ですから、口調が荘子らしからずとも仕方ありません。
 登場人物を詮索してみます。まず魏の王さまですが、この王さま、原文では「魏瑩」となっています。内篇逍遥遊篇にも登場する王さまで在位371〜334BCの恵王のことです。また孟子・梁恵王章句第一の恵王のことでもあります。梁は魏の別名です。
 斉の王さまは原文では「田侯牟」で、森三樹三郎訳注の荘子には、「斉の威王(在位前357〜320)をさすものとみられる」とあります。少しあやふやな表現です。史記、世家の田敬仲完世家(田斉)を見ると威王の名は因斉で前379に王位に就いたことになっています。平凡社、中国古典文学大系の荘子(倉石武四郎、関正郎訳)では単に「斉の王」となっています。この辺りのことはよくわかりません。
 公孫衍は原文では「犀首」となっています。「さいしゅ」あるいは「せいしゅ」と読みます。元々犀首というのは人の名前ではなく職名で将軍職らしいです。公孫衍は張儀や蘇秦と同時代の人で、同じく縦横家でした。公孫衍、の姓は公ではなく、公孫です。国君の子を公子、公子の子を公孫といいます。公孫の子から族姓を公孫とします。中国の古代史を読んでいると時々目にする姓ですが、血縁関係にない公孫家がいくつも存在していたということです(かな?)。
 350BC頃、魏は強国でした。しかし次第に秦と斉に挟撃される形で衰微していきます。330BC頃になると西の秦と東の斉の二大国の対立になってきますが、秦からみると当面の侵攻目標は魏であったため、秦の連衡策と魏の合従策の対立という図式になっていきました。その時の宰相が秦は張儀、魏は犀首だったわけです。犀首は魏、韓、趙、燕、楚の宰相となり318BC秦に伐って出ました(但し、成果はあまり上がりませんでした)。魏、残燭の焔です。
 季子については良くわかりません。そもそも、この字(あざな)は末っ子という意味なので、たぶんそこらじゅうにいると思います(そこらじゅうに末っ子はいるので)。有名なところでは蘇秦、この人も字は季子です。もし、ここに出てくる季子が蘇秦であれば、或いはその可能性があるというのであれば、2000年の研究の裏付けがある古典ですから、必ず言及してあると思いますが、そういう記述にはまだお目にかかっていません。ですから、違うのでしょう、きっと。。。
 その他、韓非子の説林下にも季子という方が出てきます。荀子にも出てくるそうですが、未見です。
 華子は戦国時代の思想家で、華子という書物も残っているそうです(但し、偽書というのが大方の見方)。呂氏春秋に華子関係の話六篇があります。ちらっと読みましたが、華子先生のお言葉はけっこう、権威があるような感じです。荘子・譲王篇にも呂氏春秋と同じ話が何篇かありますが、荘子雑篇は漢代の作というのが定説で、呂氏春秋から書き写したというのが本当のところのようです。
 恵子というのはもちろん「けいこさん」ではなく、「けいし」と読み恵施のことです。いろんな書物に、恵子や恵施の名で出てきます。「白馬は白馬にあらず」で有名な公孫竜と同じ学派で、名家に分類されています。しかし、ここで一番注目すべきことは、荘子と友達だったということです。荘子自身、恵子との論議の中で自分の思想を確立していったようなところがあります。
 最後に主役とも言える戴晉人ですが、この人のことがいちばんわかりません。在野の賢人としかでていません。大体、道家に属する人は老子を筆頭に出世や名誉、名声をひどく嫌うので、どうしても記録が残りにくくなります。荘子にも「尾を塗中に曳く」や「腐鼠」など、出世をコケにする格言があります。

 延々と登場人物について書いてきました。故事成語のサイトは数多あっても、これだけ無駄を無駄とも思わず書き連ねるサイトはないでしょうな。ここで言いたいことは、上記の人たちが同時代であるということです。荘子、孟子、公孫衍、張儀、蘇秦など横の繋がりを考えることも偶には良いでしょう。特に、孟子と荘子、同時代で近距離にいたにも拘らず、互いの書に相手のことが一度も出てこないということは、大変暗示的です。

 さていよいよ意味ですが、つまらぬこと、些細なことに拘って争うことを「蝸牛角上の争い」と言い、そういう争いはつまらぬから止めるが良いというのが一般的な解釈です。それはそれで立派な解釈ですが、やはりここは、何故つまらぬのかを考えたいと思います。キーワードは華子の言葉、「是非の差別から離れていない」です。是非の差別から離れなければならないのです。荘子内篇の逍遥遊篇〜斉物論篇で説かれる万物斉同、絶対無差別の思想がここにあります。カタツムリの角の上の戦いのちっぽけさ具合は宇宙からみた魏の都に住む一人の人間のちっぽけさ具合は同じようなものだと、戴晉人は言います。事の大小は相対的なもので、絶対的にちっぽけなものはないと主張します。荘子はこの論理を展開させ、善悪の区別、生死の区別を意味の無いものとします。
 50を過ぎ、今までの人生と同じだけの長さはほとんど確実に生きられない身としては、生死の区別がないという思想が現実のものとして実感できれば、人生が随分楽になるような気がします。人生の最後に苦痛と恐怖が待っているとしたら、生きるとは随分と残酷なものです。

 最後に何でもアリの真骨頂を・・・^^
 実は荘子のこの項、原文ではカタツムリのことを「蝸」としています。牛の字がないのです。・・・ま、なんでもアリですから^^
 

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