西遊記の13

第50回  西遊記の13

 「ちゅうごくちゅうどく」、遂に50回を迎えました。日本フィルのサイトにどうして日フィルにもクラシック音楽にも関係のないコンテンツがあるの?と、いぶかる方もきっといらっしゃると思います。そもそも「ちゅうごくちゅうどく」は団員の「同好会・愛好会」の一コンテンツなのですが、他のコンテンツの更新がほとんど行われない中で、これだけが回数を重ねているだけの話なのです。これも偏(ひとえ)に田秋氏の気長でしつこい性格の賜物だと思っております。ま、こんな読む人がいるかどうかもわからないコンテンツに批判的な方もいらっしゃるとは思いますが、そういう意見には全く耳を貸さず、100回を目指してがんばりたいと思います。
 今回は50回記念として、田秋氏の専門である西遊記ものをお送り致します。題して「西遊記の13」、西遊記を知らない人とあまり知らない人とよく知らない人にはチンプンカンプンですぞ。それでは、どうぞお楽しみに!

 西遊記の作者()は数字に一種独特の感覚を持っていることは西遊記関係者の間ではよく知られています。そのうち「9」については早くから研究、分析が進みました。その後、「7」についても当時中学3年生だった田中智行氏の指摘によりそのシンボル性が明らかになり、田中氏の業績に刺激された西遊記研究の観音菩薩とも言える中野美代子氏がより多くの数字に対して色々な秘密を明かすことに成功しました。中野美代子氏の研究は岩波新書666の「西遊記〜トリック・ワールド探訪〜」に詳しく載っています。
 さて、「9」も「7」も大変シンボリックな数字ですが、それらに勝るとも劣らない数字が西遊記にはあります。13です。ある意味、こちらの方が私の脳裏に残っています。それはどうしてかというと・・・
 それを説明するには、まず日本での西遊記の流布状況をお話する必要があります。西遊記には大きく分けて、繁本と簡本の2種類があります。繁本は詳しい本という意味で、明末に世徳堂から出版された本が代表的です。簡本というのは、適度に省略してある本で、清朝に出版された《西遊真詮》が代表的です。何故省略された本が出版されたのかというと、理由は二つあって、一つは繁本にはやたら詩や詞が多いこと、しかも難解で一読しても何のことかさっぱりわからないものが多いのです。もう一つ理由は、くどい!のです。例えばAさんがBさんに1ページくらいかかる話をしたとします。それをBさんがCさんに伝えるとき、丸々同じ内容を1ページを費やして書いてあるのです。実際はそうなるのでしょうが、読者としては我慢できません。ええい、しつこい!
「BさんはAさんから聞いたことをCさんに話しました。」
1行で済むところを全く同じ内容を繰り返すのですからね・・・
 もう一つ、《西遊真詮》には大きな特徴があります。それは第9回丸々1回分を三蔵法師(玄奘)の出生から成人になるまでの話に充てていることです。繁本の世徳堂本では詞の形で簡単に触れているだけです。その辺りのことを詳しく書き出すと大変なことになりますし、今回の主題でもないので今は省きます。
 とにかく繁本と簡本の2種類あるのですが、日本では先に簡本が訳されました。繁本の完訳は1998年、中野美代子氏によって初めてなされたのです(岩波文庫:全10巻)。ですから私も最初に読んだのは簡本で、それも子供の時に初めて読んだは簡本の、さらにダイジェスト版だったのです。簡本の全訳を初めて読んだのは大学生になってからのことです(平凡社:太田辰夫、鳥居久靖訳)。この簡本、西遊記の発達の研究という学問的な見地からはともかく、読み物としては圧倒的に繁本より読みやすく、中国でも、西遊記と言えばこの《西遊真詮》を指すくらいの優れものなのです。
 さて、いよいよ13の話に戻ります。何故、13が脳裏に残ったのか?
 まず、(西遊真詮の)第9回の話は玄奘の父のことから始まります。時の皇帝、太宗が魏徴の答申を受け、科挙の試験を実施することとなりました。そして試験を首席で合格したのが他ならぬ玄奘の父、陳光蕋(ちんこうずい)だったのです。それが貞観13年のことでした。
 それから話は進みますが、簡単に筋を書くと、光蕋は結婚し、二人で赴任地へ行く途中、賊に襲われ、光蕋は殺され、賊(劉洪)は光蕋になりすまし、任地に赴きます。その時、光蕋の妻は既に妊娠していましたが、赤ん坊(玄奘)を生んだとき、劉洪はすぐに川に流せと言います。妻はもう日が暮れたから明日流しますと答え、翌日、成り行きを書いた血書とともに、長江に流します。幸い玄奘は下流で法明和尚に拾われ、そこで僧侶として育てられます。18歳になったときあるきっかけがあり、法明和尚は血書を見せ、玄奘は母探しに出かけます。そこで母と対面し、劉洪も退治します。
 以上が第9回の話で、そのあと西遊記では太宗の地獄めぐりの話があります。この10回〜12回で玄奘の取経の旅の理由付けが行われ、第13回で取経の旅に出発するわけですが、それが貞観13年9月12日なのです。
 これはどう考えてもおかしな話です。貞観13年に玄奘の父が科挙を受け、結婚し、玄奘が生まれ、18歳に敵打ちをしています。敵打ちの直後に取経の旅に出たとしても貞観31年になる計算です。また、13回の貞観13年が正しいとすると、玄奘の父が首席となった科挙を行った時の皇帝は太宗の父の李淵だったということになってしまいます。
 この矛盾は特によく読まないと気がつかない類のものではありません。9回、13回のそれぞれの冒頭に「貞観13年」と書かれているのです。あたかも作者が「オマイラ、ここ矛盾だから、そこんとこヨロシク!?」と言っている感じです。そしてこのあまりにもあけっぴろげで大らかささえ感じさせる矛盾のため脳裏に焼きついたのです。第13回、貞観13年に出立という設定は、非常に暗示的で、いかにも「13」に意味を持たせているという印象ですが、それでは作者は何故ここで「13」という数字を選んだのでしょうか、12とか14とかではなく・・・
 さて、13の考察に進む前に、あまり西遊記に詳しくない方のために、9や7が西遊記でどのように使われているか、簡単に見ておくことにします。例えば八戒の武器は馬鍬(まぐわ)ですが、それには9本の歯があります。また沙悟浄は首に9個の髑髏を掛けています。また物語には九頭虫や九霊元聖という妖怪(?)が出てきます。これらはすぐに、「あ、9だ」とわかります。三蔵法師は全部で81の難に出会いますが、81というのは、言うまでもなく9の倍数(自乗数)です。また、天帝から河の竜王に雨を降らす命令が下る場面がありますが、その雨量は3尺3寸と48滴ですが、これを3348と解釈するとこれは9の倍数です。もう一つ例を挙げるなら、玄奘が長安を出立してから雷音寺のお釈迦さまのところに着くまでに5040日かかっています。これも9の倍数です。孫悟空の武器といえば言わずとしれた如意金箍棒です。この棒の重さは13500斤ですが、これも9の倍数、もう一つだけ、第19回に般若心経を授かりますが、このお経の字数についての記述があります。54句270字、どちらも9の倍数です。
 次に7について見ておきます。お釈迦さまは、いつもは雷音寺を離れることはありませんが、物語中、2度だけお出かけになる場面があります。一度目は第7回、一旦、捕えられた悟空が再び暴れだした時、天界へ、2度目は第77回、大鵬金翅鳥(たいほうきんしちょう)を取り押さえるために獅駝洞へ赴いた時です。三蔵一行が霊鷲山雷音寺に到着したのが第98回(7の倍数)、そのほか、旅程の丁度真中が通天河ですが、これが第49回(同じく7の倍数)です。但し、通天河事件は第47回〜49回なので、ピンポイントの指定ではなく少々滲んだ感は否めません。
 以上、9と7について簡単に見てみました。さていよいよ13です。最も印象的な個所は、先に述べたように第13回で貞観13年出立の部分です。その他、例えば24回から26回の人参果事件を見てみます。人参果(赤ちゃんそっくりの果物)は初め30個生っていたのですが、色々あって最終的に13個残りました。28回から31回は黄袍怪事件ですが、奎木狼(黄袍怪の正体)が天界を留守にしていたのは13日。9のところで述べた般若心経に関して、54句270字となっていますが、54句(本文)だけだと260字しかなく、それに題字10文字加えて270字になるのです。260字、これは13の倍数です。第64回荊棘嶺のお話には全部で13個の詩がでてきます。その他、祭賽国金光寺の宝塔が13層だったり、老人の年齢が130歳だったり(第14回)します。こういう例はまだまだありますが、ただ事例を羅列しているだけでは能がありません。作者は何故「13」に拘ったのでしょうか。
 13に特別の意味があるはずだということは西遊記について研究論文を発表する専門家の間でも周知の事実です。しかしながら未だ決定版を発表した先生方はいらっしゃらないようです。前述の中野美代子氏著の《西遊記〜トリック・ワールド探訪〜》の中でも、この話題は扱われていますが、いまいち説得力がありません。
 専門の先生の決定版が出ていない以上、アマチュア研究家が首を突っ込む余地がある訳で、この疑問はずっと私の頭からも離れませんでした。最初頭に浮かんだアイデアは、フィボナッチの数列としての13でした。フィボナッチの数列というのはご存じの方はご存じでしょうが、ご存じない方はご存じないでしょう(当たり前だ)。第1項と第2項の和が第3項になるという数列で、初項に0、第2項に1を置くと、0,1,1,2,3,5,8,13,21,34,55,89・・・という数列が出来上がります。この数列の最大の特徴は、隣り合う二つの数字の比が、数字が大きくなればなるほど黄金分割比に近づくということです。黄金分割比は0.6180339・・・です。仮に5と8の比を取ると0.625で差は約0.007です。13と21の比を取ると0.619・・・で差は約0.001、55と89だと0.61797・・・で差は約0.00006となり、どんどん正確な黄金比に近づいていきます。どうしてこんなものを私が知っているのかというと、バルトークが自分の音楽語法に用いたからです。元バルトーク病の後遺症として頭の中にいつまでも残っているのです。で、何故こんなものと西遊記を結びついたかというと、「三」蔵、「八」戒、13・・・どれもフィボナッチの数列の構成数なのです。西遊記は全100回、その半分は第50回ですが、中野美代子氏は「第13回に出発、第98回に到着という構成の、回数から見た半分の地点は第55回になる」と指摘しています。この55もフィボナッチ数です。もっとも、中野美代子氏はこの「55」をフィボナッチの数列の55とは言わず、天地数の55と結び付けています(どう考えてもその考え方の方がまともです)。
 次に考えたのは仏教と関係あるのじゃないかしらん?ということです。西遊記にも13重の塔というのが出てきますが、13重の塔というのは数は少ないですが実在します。岩槻の慈恩寺にある玄奘三蔵像の傍に立つ塔も13重です(!)。最近行った千葉県北小金にある「あじさい寺」でも13重の塔を見かけました。この13重の意味は未だはっきりわかりませんが、仏教には13仏という仏さまのグループがあります。如来さま、観音さまは勿論、普賢菩薩さまや文殊菩薩さま、阿弥陀如来もそのグループに入られており、この方々は西遊記にも登場なさいます。また13というのは胎蔵界曼荼羅の13世界を表す数字としての意味があります。
 次に思いついたのは「再生」を意味する数字としての13です。今でこそ10進法が幅を利かせていますが、昔は12進法が非常に盛んでした。その名残は今でも数多くあります。1オクターブには12個の半音があり、オリンポスの12神、十二使徒、花札、十二支、1ダース、十二単、時計、月などほとんど世界中に見受けられます。12で一まとめという考え方、これは1から始まり12で終わるという考え方にもなり、そうすると次の再出発は13ということになります。そういうわけで、13は再生の意味を持つようになりました。
 この13、おそらく最も有名な意味は13日の金曜日でしょう。ゴルゴ13の13はここを由来としています(とされています、本人は何も言わないので・・・)。今でこそ不吉の代名詞のようになり、日本では9号室や4号室がないように、キリスト教世界では13号室は普通欠番として扱われます。しかし、キリストの死と13が結びつく前は、13に「不吉な」意味はありませんでした。世界の童話を注意深く読んでいると13という数字は結構使われています。それは特段、不吉な意味合いはありません。勿論西遊記で13が使われた時にも不吉な意味合いはありません。貞観13年に出発した(しかも第13回に)・・・あな恐ろしや恐ろしや、なんと不吉なことなのだろう!という意味合いは全くありません(そうは言っても難行苦行の連続ですが・・・)。
 西遊記に底流には再生という思想があります。悟空はお釈迦さまに500年間五行山に閉じ込められ、その間食べ物としては銅と鉄しか与えられませんでした。そして三蔵に助けられた時、体はメタリック化してより剛健となり、暴れ者で自分が一番強くて偉いと信じ切っていた悟空は、一人間である三蔵の従者となって再生しました。太宗は河の竜王との約束が果たせなかったため、竜王に呪い殺されましたが、地獄で竜王の逆恨みであることがわかり、崔判官の機転もあって再びこの世に戻ることができました。西遊記の最終段階で、霊鷲山のふもとの凌雲渡というところを渡る段があります。そこで底なし船に乗るわけですが、三蔵は一瞬溺れすぐに引き上げられます。そうすると、舟上の三蔵とは別に、川を三蔵の死体が流れてきます。ここでも再生が行われています。再生のシンボルとしての13、これはなかなか魅力的な仮説です。
 まあ、そういうことを暇にまかせてああでもない、こうでもない、ひょっとしてこうなのかなあと考えることは大変楽しいことです。特にそこに何の生産性や利便性もないところが好きです。
 多分、13は再生のシンボルなんだろうなあと半分納得していた時、全然違う調べ物をしているときに不意に浮かんだのです、新しいアイデアが!それはある図を見て思いついたのですが、それはこれまで何度もお目にかかっていたものなのです。

 大昔、黄河から龍馬、洛水から神亀が現われたことがありました。それぞれの背中には図が描かれていて、龍馬の図を「河図(かと)」(上図左)、神亀の図形を「洛書(らくしょ)」(同右)と言います。これが何を表しているのかという話になると大変難解で、河図は八卦に、洛書は気学に関係しているそうですが、とても私の手には負えるような代物ではありません。白い団子と黒い団子が串刺しになっています。白い団子の串刺しの団子の個数は奇数(陽)、黒は偶数(陰)です(河図の中心にある黒団子5個の横串を除く)。とりあえず、団子の個数がわかれば支障ありません。まず、河図の西を見てください。白団子9個と黒団子4個の串刺しがあることを確認してください。
 9+4=?
 13です。ほんなん当たり前やんか!
 次に洛書の西を見てください。白団子7個の串があります。
 ・・・
 待てよ。今出てきた数字は、9、4、13、7・・・
 4以外は西遊記でシンボリックに扱われている数字じゃありませんか!?
 13は、いいえ、9も7も、西のシンボルとしての機能があるのではないでしょうか。
 河図の西に9個と4個の団子があって足すと13になることはずっと前から気付いていました。洛書の西の7が配置されていることも河図の13ほどではありませんが、頭の中にありました。この二つが頭の中で組み合わさるのに実に何年もかかったのです。
 この仮説が今まで私が考えついた説に比べて優れている点は、13だけでなく9についても7についても、何故?に答えられることです。
 ただ、そうすると「4」についてもそのシンボル性を考えなければいけませんが、現在のところ、残念ながらはっきりとシンボル性は発見できていません。
 西遊記に「4」という数字も結構出てきます。冒頭の4大陸の説明、四海の竜王、天界の4つの門などは確かに4と関係ありますが、西遊記特有のものとは言えません。
 三蔵ご一行さまは何人か?を考えてみます。三蔵、悟空、八戒、悟浄の4人連れとも解釈できますが(香取慎吾クンの西遊記など)、実は西海竜王の三男が馬として同行しています(堺正章さんの西遊記など)。そうなると五人連れということになります。この辺りは実は微妙で、第23回で四聖が一行の禅心を試す場面がありますが、ここでは西海竜王三太子は除外されています(三蔵、悟空、八戒、悟浄が試された)。
 試すと言えば、西遊記全体が三蔵一行を試しているようなもので、その試す側の主だった顔ぶれを見てみると、仏界代表でお釈迦さまと観音さま、天界代表で天帝と老子さま、この四人ということもできますが、恣意的だ、という非難を受けそうです。
 ひょっとすると、4には元々そういう性質を持たせていないかもしれません。西遊記の作者ならそういうアンバランスなことを平気でやってのけます。
 ということで、この説はまだ完全ではありませんが、大変魅力的なアイデアではあります。

おわり


注:ここでいう作者とは「坊ちゃん」の作者は夏目漱石である、というような、作者を特定するような意味ではありません。特に、呉承恩の代名詞として使用している訳ではないということを明言しておく必要はあろうかと思います。とはいえ、誰かが(複数名の可能性を含め)作ったことは確かで、今のところ、そういう意味合いでの「作者」です。

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