田秋先生批評
 西遊記は完成したか

 1592年、世徳堂から出版された「新刻出像官板大字西遊記」(以下、世本と略す)が、世にある西遊記の中で最も膨張した版であり、その後は、それとほぼ同じものか、或いはそれのダイジェスト版(例えば西遊真詮)が出るのみである。
 西遊記は世本で完成されたというのが、一般的な見方であるが、私はそうは思わない。量的には確かに世本が最大で、描写は詳細になる。しかし、詳細な描写というのが完成の条件とは必ずしもならない。その表現が煩雑に過ぎるので、清代に西遊真詮等のダイジェスト版が出たのではなかったのか。西遊真詮はかなりの流行を見せ、西遊記といえば、西遊真詮を指すほどになったらしい。
 それは現在の訳本を読み比べても十分想像がつく。確かに、西遊真詮は世本の背後に張り巡らされた作者のある意図を無神経に切り取ったりしているが、しかしそういうことは専門家の指摘を待たなければ、通常、気がつくことではなく、読み物として両者を比べるならば、明らかに西遊真詮の方が読み手を引きつける出来栄えだと私は思う。
 それでは、西遊真詮を以って西遊記の完成と言えるだろうか。私の答えは否である。構成がまだまだ弱い。それは世本にも同じことが言えるのあるが、西遊真詮は三蔵の出生譚を挿入したことにより、《貞観13年問題》という矛盾が新たに発生している。
 三蔵法師の父が貞観13年に科挙の試験を受け、その後、結婚して三蔵が生まれ、成人して取経の旅に出るのがまた貞観13年、というのがいわゆる貞観13年問題である。そこには作者の深い意図が隠されているのかもしれないし、単なる間違いかもしれないし、矛盾は知っていたが、これを直すとなると大変だから放置しておいたのかもしれない。
 これは矛盾ではないのかも知れないと、何故考えるのかというと、西遊記には時間の伸び縮みが存在するからだ。天の一日は下界の一年に相当するのだ。これは相対性理論の導入によって説明され得るかもしれない。ここでは、あまり深入りはせず、指摘にのみとどめておくが、作者の時間経過についての記述は大変曖昧にして不可解なのである。なに時間で(天界時間での計測なのか、下界時間での計測なのか)何才、或いは何日なのかよくわからないところがある。さらに、仏界時間というのがある。これが、天界時間と同じなのかどうかよくわからない。なにしろ仏界最高責任者(というか西遊記の仕掛け人)のお釈迦さまがボケているので困る。その他、冥界時間もあるはずである。閻魔帳に悟空の寿命が342歳と記してあるのだが、これは冥界時間なのだろうか。
 時間的なことを述べてきたが、空間的な問題もある。長安は南贍部州に、天竺は西牛貨州にあり、その間には大海が横たわっているはずなのに、三蔵の渡海の場面はない。また、第1回、いかだで南贍部州に渡るときも変である。西遊記の記述を信用すると南贍部州は東勝神州の西北にあることになる。このよう西遊記の時空はかなり歪んでいる(或いは杜撰)。
 後、構成上見過ごせない問題として《14年問題》がある。取経の旅は14年かかったことになっており、それは話の最後でお経の巻数(一蔵5048巻)との関係がらみで述べられている。ところがどうも事件経過を足していくと14年にならないのである。もう少し短くなってしまうのである。
 ざっと数えてみても重大な構造上の欠陥があちこちにある。そもそも何故、このようなことが起こるのかといえば、玄奘の取経の旅が次第に伝説化され、約千年、様々な人の手(口?)を経て実を結んだからである。綿密な設計図を元にして開花した小説ではないのだ。矛盾があるのはいたし方ない。いたし方ないにしても、だからと言って「もう完成したことにしよう」ということにはならなくてもいいはずだ。

 いつか誰かが完成させるだろうか。私はそれを望む。新しい西遊記は今も誰かが書いている。そのほとんどはいつの間にか忘れ去られる。しかし、良いものは残るのだ。それは、歴史という時間経過の篩(ふるい)にかけられてのみわかることであり、そういうものをある天才が再編集することも禁止はされていないのである。