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第1回  第2回  第3回  第4回  第5回
  第6回  第7回  第8回


 第1回
登場人物
石猿、美猴王 :後の孫悟空
玉帝 :天界で一番偉い神さま。天帝ともいう
千里眼 :なんでも見える神将
順風耳 :なんでも聞こえる神将
きこり :須菩提祖師のそばに住むきこり
須菩提祖師 :悟空の師匠
邵康節 :北宋の学者。易に精通していた
地理
東勝神州 :須弥山の東にある大陸。傲来国、花果山がある
西牛貨州 :須弥山の西にある大陸。須菩提祖師
南瞻部州 :須弥山の南にある大陸。ここに唐がある
北倶盧州 :須弥山の北にある大陸。
傲来国 :東勝神州の西の海にある国
花果山 :傲来国の近くの名山。悟空の本拠地
天界 :神さまの住むところ
金闕雲宮 :玉帝のいらっしゃる宮殿
霊霄殿 :玉帝のお住まい
南天門 :天界にある四つの門のうちの一つ
水簾洞洞天 :悟空一族の棲家
霊台方寸山 :西牛貨州にある。須菩提祖師の住む山。
斜月三星洞 :霊台方寸山にある須菩提祖師の棲家
数字
129600年 :1元の長さ。宇宙は1元で一巡りする
10800年 :1会の長さ。12会で1元となる
3丈6尺5寸 :山の頂きにある石の高さ
2丈4尺 :石の周囲の長さ
12の文字 :広・大・智・慧・真・如・姓・海・頴・悟・円・覚
季節
P31:いつしか三百年か四百年がたってしまいました。
 
故事成語
山中に暦日無し、寒尽くれども年を知らず
  語り手の言葉。唐詩選巻六・五言絶句・太上隠者「人に答う」
    偶たま松樹の下に来り
    枕を高うして石頭に眠る
    山中に暦日無し
    寒尽くれども年を知らず
鳥には鳥のことばがあり、獣には獣のことばがある
  語り手の言葉。
人にして信無くんば、其の可なるを知らざるなり
  悟空(石猿)の言葉。出典は論語「為政篇」
料理
芝蘭 :茶葉らしい
香(コウケイ) :???
瑤草 :三皇の一人、神農の娘、瑤姫が姿を変えた草。黄色の花が咲くらしい。
竜眼 :ライチに似た実
茘枝(レイシ) :ライチのこと。黄褐色の殻の中に白っぽくてゼリー状の甘い実がある
:クロウメモドキ科の落葉高木。中国原産で実は薬用になる(強壮など)
黄精 :中国原産のユリ科の植物で、根の部分を漢方薬として用いる(滋養強壮)。
ハシバミ :高さ4-5メートルになる雌雄同株野の落葉低木。実は食用、ヘーゼルナッツはセイヨウハシバミのこと。
茯苓(ブクリョウ) :サルノコシカケ科マツホドの菌核 。薬理作用がある
楊梅 :ヤマモモ科の常緑高木で雌雄異株。果実酒、薬用
桜桃 :オウトウ
林檎< :リンゴ
琵琶 :ビワ
:ナシ
:スモモ


 第2回
登場人物
孫悟空
須菩提祖師 :釈迦十大弟子の一人にスブーティという人がいる。須菩提祖師はこれ以後二度と登場しない
混世魔王 :北方に住む魔王。悟空の留守中に水簾洞を荒しに来る
地理
爛桃山 :斜月三星洞の裏にある山
蒼梧 :広西省蒼梧県の地。五帝の一人、舜は南方への巡幸中、蒼梧の野で崩じた。
東勝神州 :第1回参照
傲来国 :第1回参照
花果山 :第1回参照
水臓洞 :花果山の北方にある混世魔王の棲家
南瞻部州 :第1回参照
西牛貨州 :第1回参照
数字
7年 :入門してから最初に祖師の教えを受けるまでの年月
3年 :最初の教えから三災の教えを受けるまでの経過年数
360の傍門 :仙術の種類
500年 :三災が襲う周期
36変化 :天罡数。天罡は北斗七星。西遊記では人名として後にもう一度現れる
72変化 :地煞数。天罡数、地煞数は水滸伝にも現れる。
108000里 :觔斗雲のひとッ飛びの距離。西遊記ではかなり重要な数字
84000本 :悟空の体毛の本数
季節
P77:春が去り、夏になりました。 ⇒ 松に化け、破門された時。であるから、混世魔王を退治した時も夏である。
 觔斗雲 : 飛行術。「觔斗」とは、「とんぼがえりをする」の意。
身外身の術 :毛を思いのままに変化させることができる術の中で、特に自分の分身とするときのことを「身外身の術」という。ただし、P92の説明では毛を(自分の分身に限らず)思いのままに変化させる術のことを「身外身の術」だと言っているようにも取れる。
故事成語 壁のなかに支柱をたてる
  少しだけの延命
窯のそばのまだ焼かぬ煉瓦
  見かけだけの強さ
水の中で月を撈(すく)う
  李白が、船上で酒に酔い、水面に映った月をすくい取ろうとしておぼれ死んだという伝説から生まれました。海底撈月
朝には北海に遊び、暮れには蒼梧
  この言葉は、荘子内篇第一逍遥遊篇を強く想起させます
できるできぬは決心次第
  なせばなる なさねばならぬ なにごとも ならぬはひとの なさぬなりけり
どうせやるならしまいまで
  邱版では「毒を食らうからには皿まで」と訳しています
料理
椰子酒 :椰子の花の蕾の先端を切ると出てくる樹液を半日程度発酵させるとできるお酒。アルコール度は6%くらいだそうです。


 第3回
登場人物 孫悟空 :      
赤尻の馬猴 :花果山の老猿。「馬猴」とはよくわかりませんが、他書では「大猿」と訳されていることも少なくありません。後、馬・流二元帥となる。
手長猿 :花果山の老猿。本来、「猿」とは、手長猿のことを言います。後、崩・芭二将軍となる。
東海龍王敖広
南海龍王敖欽
北海龍王敖順
西海龍王敖閏
 西遊記においては、「龍」はメインキャラクターではありませんが、単なる味付け以上の重要性を持っています。
 東海龍王敖広が長兄、南海龍王敖欽が次兄であることはわかりますが、末弟が誰であるかは、はっきりしません。東海龍王の発言で西海龍王が末弟であるかのような印象を受けます。君島久子訳でははっきりと西海龍王を末弟にしています。また、この後も時々、龍王が現れますが、名前の混同が見られます。それはその時々で指摘していきます。
牛魔王
蛟魔王
鵬魔王
獅駝王
獼猴王

 この6人に美猴王孫悟空を加えて七兄弟と言います。第四回でもう一度出てきますが、それ以後、登場するのは牛魔王だけです(勿論、悟空を除いて)。実に勿体無い話です。
 「蛟」は蛇のような龍のようなもの、「蛟龍」というものがいますが、甚だわかりにくい龍です。「鵬」は大鵬というように鳥の親分格を表し、「獅駝」は獅子かもしれません。74回に獅駝王という妖怪が出てきますが、その本性は青毛獅子です。一応、それとは別人ということになっていますが、同一という設定のほうが面白いような気がします。文殊菩薩の青毛獅子ですから、同一とすると設定をよく考えないといけませんが。。。「獼猴」は一般的にサルを指します。ですからこの名前からだけでは、なにやらサルの親分格のような妖怪だ、位にしか判りません。悟空が冥界で墨を塗りたくった、名のあるサルの一員であることには間違いなさそうです。最後の「」ですが、これもサルである位しかわかりません。平凡社版西遊記の注には、「『』は『禺』に同じで、尾なが猿のこと。『』はむくげ猿」とありますが、實吉達郎氏が「西遊記動物園」の中で、この説に批判的な立場をとっています。實吉達郎氏によれば「尾なが猿」という猿はいなそうです。 これは「科」の名前で「オナガザル科」というものはあります。
秦広王
初江王
宋帝王
忤官王
閻魔王
平等王
泰山王
都市王
卞城王
転輪王
 地獄の十代冥王。西遊記から離れて、簡単に中国の地獄を説明すると、次のようになります。昔から中国には冥土のような思想はありました。場所は泰山の地下で、主に人の寿命や、現世での地位を管理していました。生前罪を犯すと死後地獄で罰を受けるというような因果応報的な考えは、仏教が中国に伝わってから発生したようです。
 地獄で一番偉い王は閻魔王なのですが、他の9人と同列に列記してあるのはかなり奇異に感じます。これを説明する一つの可能性として、道教の影響を挙げることができます。道教では冥府のボスは鄷都大帝です。鄷都大帝から見れば、閻魔王も一部下ですから、他の王と同列に扱っても問題ないわけです。ただ、この説は有力ですが、決定というわけでもないようです。
地蔵王菩薩 :冥界の教主(但し、冥界の番人と記したものもあります。教主と番人とではかなり違う気がします)。西遊記では教主という立場のようです。六耳獼猴事件のときに再出演なさいます。
玉皇大天尊玄穹高上帝 :天帝のこと。なお第1回参照
邱弘済真人 :四天師の一人
葛仙翁天師 :抱朴子、神仙伝を書いた葛洪の祖父の従兄弟に当たる。左元放に師事。神仙伝に記述があります。
 岩波本訳注(15)で葛洪とするのは疑問
千里眼第1回参照
太白長庚星 :金星のこと。転じて金星神。三蔵一行を陰に日向に助ける気のいい爺様。昔は、宵ノ明星と暁ノ明星とは別の星だと考え、長庚(ちょうこう)、啓明(けいめい)と別名をつけていました。李白は生まれた時母が、長庚星が懐に入ると夢みたために、太白と名づけられました。
文曲星官 :文運を司る星官。北斗七星の中の一つ。
 左図の上の赤線のところ、「メグレス(天権・文曲」と書いてあります。下の赤線のところは、「ミザール(開陽・武曲)」。天権とか開陽は中国の伝統的な呼び名で正史の天文志ではこの名を使用しているそうです。
地理
傲来国 :ここで(P99)傲来国の西200里に花果山があることがわかります。
東海の龍宮 :水簾洞の鉄橋の下から水路によって繋がっています。
水晶宮 :龍宮の本殿。
幽冥界 :地獄のこと。どこにあるかよくわからない。
森羅殿 :十代冥王の住む宮殿。
金闕雲宮、霊霄殿第1回参照
南天門 :天界にある四つの門のうちの一つ
数字
200里 :花果山と傲来国との距離
72洞 :花果山にある妖王の棲家の数
72般 :悟空が身につけた変化
3600斤 :九股の叉(さすまた)の重さ
7200斤 :方天戟(ほうてんげき)の重さ
13500斤 :如意金箍棒の重さ。
 世の中、ホント、便利なものがあるものです。13500斤って、一体何キロあるんだろうと思ったありませんか。ここはそういう疑問を持った方のためにこそあるサイトです。すばらしい!13500斤が現代の単位でどのくらいになるか知りたい方、是非、訪問してみてください!
1350号 :冥界の帳簿の通し番号
342歳 :帳簿に記載されていた悟空の寿命
300年前 :悟空の生まれた時までの概数。これが天界で発せられた言葉であることに注意。後々、難解な問題が発生します
季節
 第3回を通して、季節の記述はありません。
觔斗雲
??? :術の名前は書かれていませんが、風を起す術で、時々悟空が使います。印を結び、呪文をとなえ、巽の方角に息を吹き出す。
身外身の術 : P101。傲来国で分捕った武器を運ぶとき。
摂法 :吸い寄せの術。ここでは狂風を起しています
閉水の法 :水中を進むときに使う術。自分の周りの水を退ける術らしい。直接水の中を進むわけではない
武器
九股の叉(さすまた) ここに普通の叉の画像があります。これを元に九股の叉を想像してみてください。
方天戟(ほうてんげき) :中国の武器についての素晴らしいサイトをご紹介します。方天戟へは、武器紹介⇒長器械のブースとお進みください
如意金箍棒 :東海竜王の宝物庫にあった、元は禹が治水に使用したもの。如意(自在に伸び縮みする)金箍(両端に金の箍《たが》が嵌っている)棒(鉄棒)。「箍(たが)」とは桶などの外側に嵌めて、板がばらけない様に留めてある輪っかのこと。
故事成語 龍王さまはお宝もち
  
ふたりに世話をかけるな
  
三軒を歩きまわるより、一軒に腰を落ち着けろ
  
現金売りの二口は掛売りの三口よりまし
  
役人どもはまちがえる。使いの者はまちがえぬ
  
南柯の夢
  出典は唐宋伝奇集の中の「李公佐:南柯太守伝」です。はかない夢という意味で使われます。同義語に「邯鄲の夢」いうのがあります。話の内容は、次の通りです。
 唐の時代、広陵というところに淳干棼(淳干が苗字、棼が名前:じゅんうふん)という者がいた。ある時、自分の家の槐の木の下で酔って寝ていると、二人の男が来て「槐安国王の命令でお迎えに来ました」と言った。ついていくと国王は娘を娶わせ、南柯郡の太守に任命した。それから20年、南柯郡はよく治まったが、ある時、檀羅国に攻められ敗北した。妻も病死したので、は太守を止め、都に帰った。棼の名声は非常なもので、権勢は日々高まり、国王は不安になり、ついに彼を軟禁した。 棼はそれが不満だったが、国王はそれを察し、彼を家に送り返した。気がつくと は槐の下で寝ていた。
 大体こういう話です。
料理
椰子酒 第2回参照
葡萄酒 :このころは悟空もけっこう、アルコールを飲んでいた


 第4回
登場人物
孫悟空
太白金星第3回参照
増長天王: 四天王(持国天王、増長天王、広目天王、毘沙門天王)の一人。仏教の守護神で担当は南、のはずが、天界南天門の守衛をしている。
大力天丁: 龐・劉・苟・畢・ケ・辛・張・陶
玉帝第1回参照
武曲星官: 武運を司る星官。北斗七星の中の一つ。文曲星官参照
木徳星官: 五行思想から生まれたと思われる。詳細は不明。仲間に東方の水徳星、南方の火徳星、西方の金徳星、北方の木徳星、中央の土徳星がいる。
独角鬼王: お祝いにきたただの小鬼であるが、悟空に「斉天大聖」を勧めたという点で重要である。
張天師: 常識的には張道陵のこと。少し捻って、北宋期に活躍した第三十代天師とされる張虚靖?
托塔李天王: 元々は毘沙門天だというのだから、最初から話はややこしいです。また、毘沙門天は別IDを持っており、四天王の時は多聞天と言います。民間信仰の洗礼を受けるとみんなややこしくなります^^
 さらに元を辿ると、毘沙門天はヒンズーのクベーラのことで、戦争と富を司る神です。さらにさらに元を辿るとクベーラはヤクシャ(一族の名前:夜叉 [ここ、凄く大事!] )の王でした。クベーラはヴィシュラヴァナという別名を持ち、その音写が毘沙門です(ああ、ややこしい)。毘沙門天は右手に鉾、左手に宝塔を持っています。
 それでは、毘沙門天がどうして李さんになっちゃったんでしょうか。そこで時代はぐっと下り、唐の太宗の頃、李靖という武将がいました。571年の生まれらしいので、598年生まれの李世民(太宗)より一世代くらい年長でした。初めは隋王朝に仕えていましたが、後、唐に帰順し(太宗の太っ腹の人事、魏徴と同じ扱い)その後目覚しい活躍があり、衛公に任じられた。兵書に「李衛公問対」というのがありますが、これは李靖と太宗の問答の形式で書かれています(但し、この二人のいずれもこれを書いていない)。この李靖が死後伝説化し、武人として崇められるようになります。ここで重要なのが彼の字が「薬師」であったことです。
 唐代の「薬師」の音が、夜叉(Yaksa:毘沙門天の元々の一族)に非常に近かったそうです。李靖が宋の頃、武勇神として祀られ始めると、薬師と夜叉の混同が始まり、それは一気に進みました。という訳で、毘沙門天がいつの間にか李さんとなり、宝塔を持っている李さんという名前の守護神ということで、托塔李天王と呼ばれるようになりました。
 これはあくまでも有力な一説で、決定稿ではないらしいです。偉大な宮崎市定氏は、毘沙門をイラン語ではないかと推察され、ミトラ神との関連を述べられています。
 最後に、毘沙門天は日本に渡り、七福神の一人になられました。あと、もう一つ、毘沙門天の「天」について。現在、天というと神さまのいらっしゃる「場所」のことを言いますが、この場合の「天」は神そのものを指しています。サンスクリットの「デーヴァ(deva:光り輝くもの、尊いものという意味。)が東へ行き、「天」となり、西へ行き「ゼウス」となりました。
三太子: 「三」は序数で、「第三番目の」という意味、ま、三男ということです。元代の書、「三教源流捜神大全」に哪のことが載っています。「元々は、玉帝の先駆けの大羅仙。背丈六丈、頭三つに目が九つ、臂は八本。」
 又、唐代の高僧、不空金剛(彼も三蔵法師です)の「毘沙門儀軌」によれば、「唐の玄宗の時、チベットやアラブとの戦いにおいて、高僧一行(ご一行様ではなく、『いちぎょう』という名前)が、毘沙門天の神兵を応援を請うように進言した。そこで不空が祈祷したところ、第二子獨健(どくこん)の援軍が到着、ついで第三子哪が現れた」(中野美代子「西遊記の秘密」の受け売り。中野美代子氏も劉存仁氏の「毘沙門天父子与中国小説之関係」を引用されているので、孫受け売りですな。)とあります。
 哪三太子は西遊記の他、封神演義にも登場し、こちらの方が有名かもしれません。西遊記と封神演義では記述が微妙に違いますが、共通していることは、龍を苛めたということ、自身を切り刻んで自殺したこと、蓮によって甦生したこと、などです。
 西遊記では、哪が龍の筋を引っこ抜いた時、李靖は後難を恐れ、哪を殺そうとし、哪は甦生した後、それを怨み父を殺そうとしたことがある、という設定になっています。
巨霊神: 出自はよくわかりませんが、捜神記(東晋の干宝)に出てきます。華山と獄山(共に陝西省)は元、一つの山で、黄河の流れを邪魔するように聳えていた。そこで黄河の神、巨霊は真っ二つに山を引き裂き流れやすくした。手のひらや足跡が今でも残っている、というのが話の内容で、ここでは黄河の神、ということになっています。
 漢武故事(作者不詳、六朝の人らしい)では、西王母の使い、というこになっていて、しかも、身の丈7寸の小人という設定になっています。
 巨霊神の武器は宣花斧ですが、賽太歳(第71回で退治される妖怪)も宣花鉞斧という武器を使います。中野美代子氏は、「構成上、まずい」と言っておられますが、私は、この武器が巨霊神の専売特許でなくても良いのではないか、と思っています。実は巨霊神の斧がオスで、賽太歳のはメスということで、新しく一話作ってもいいかな、って感じです。宣花斧というのは、片手で使う武器化した斧らしいです。
魚肚将: 不明。岩波本にも注なし。ひょっとしたら、西遊記にしか出てこないかも。
薬叉将: 第83回では、薬叉雄帥となっています。
牛魔王以下六人の義兄弟:(「第6回ありがとうありがとう」参照)
張・魯: 八仙の張果老と呂洞賓かなあ。
五斗星君: 道教の星神。五方に配した北斗星君、南斗星君、東斗星君、西斗星君、中斗星君のこと。
地理
南天門: 天界の南にある門。増長天王が常駐するのを原則とする。
花果山
蟠桃園: 天界にある桃園。西王母がここの桃で蟠桃勝会を催すということから大事件勃発!
数字
千頭: 天馬の数
十数年: 悟空が天界にいっていた期間を下界時間で計ったもの
半月余り: 悟空が天界にいっていた期間を天界時間で計ったもの
30合: 悟空と哪三太子が渡り合った回数。「合」とは、切っ先を交えること。
72洞: 妖王の棲家の数
季節
季節の記述は特になし
三面六臂: 三体が背中でくっついている。例えばこのような格好。通常、巨大化を伴う。
觔斗雲
身外身の術: P165。毛を一本抜いて「変われ!」と叫ぶと、たちまち、それが悟空の姿に変わり〜
武器
宣花斧: 巨霊神の武器。これが一体どのような形状、色、或いは模様をしているのかずっと調べていたのですが、結局納得のいく答えをみつけることが出来ませんでした。そこで、久方ぶりにあのお方に教えを乞うことにしました。あのお方とは、そうです、このお方です。早くも、お返事がありました。先生から頂いた回答をここに載せますので、皆様、ご静粛に〜!

「本来宣花とは『花を散らす・花を播く』意味で『散花』と同じです。宗教儀式の時に行われる行為で『散花』と言ったり『宣花』と言ったりします。因って、『斧の部分に花びら形の空間が開けられた斧』か或いは『花びら模様が象嵌でもされた斧』のことではないのかと、愚考致します。」
斬妖剣・砍妖剣・縛妖索・降妖杵・綉毬・火輪: 哪三太子の武器。
故事成語
犬馬の労: 尽力を厭わない、という意味。謙遜のニュアンスがある。三国志演義第38回が出典、初め、出馬の要請に難色を示していた諸葛亮が、遂に劉備の懇願に胸打たれ、出陣を承諾する時に述べた言葉。三顧の礼の近辺ですな。
料理
 具体的な記述は特になし


 第5回
登場人物
三清: 雲笈七籖では三清とは天宝君、霊宝君、神宝君の三神となっています。九天生神章経註ではこの三神をそれぞれ、玉清元始天尊、上清天尊、太清天尊としています。それとは別に今日では、玉清元始天尊、上清霊宝天尊、太清道徳天尊だとか、元始天尊、太上道君、太上老君だとかしています。ま、色々あるというかどうでもいいというか、この辺りが道教の真髄でもあります。西遊記の三清観事件(44−46)では元始天尊、霊宝道君、太上老君としているので、そういうことにしておきます。但し、問題アリ。
四帝: 岩波本、平凡社本とも未詳となっています。曽上炎著「西遊記辞典」では苦帝、集帝、灰帝、道帝としています。これは仏教関係らしいです。孫子行軍篇第九のは四帝が出てきますが、具体的な名前は記されていません。史記には黄帝が炎帝、蚩尤、葷粥と戦った記事があり、彼らが四帝のうちの3人かもしれません。玄武(北)、青竜(東)、朱雀(南)、白虎(西)を黒帝、青帝、赤帝、白帝の4人とする説、黒帝の代わりに黄帝を入れて四帝、後に黒帝を入れて五帝とする考え方もあるそうです。ま、色々あるというかどうでもいいというか、そんなところです。西遊記では四帝はここのみの登場なので、これ以上の詮索は今はやめておきます。
九曜星:一白水星、二黒土星、三碧木星、四緑木星、五黄土星、六白金星、七赤金星、八白土星、九紫火星。九曜星とは別に九曜があることに注意。日曜星、月曜星、火曜星、水曜星、木曜星、金曜星、土曜星の七曜に計都星、羅睺星を加えて九曜という。最後の二つは架空の星。一説に計都星は彗星、羅睺星は日、月に食を起こさせる魔物、或いは、彗星の頭の部分が羅睺星で尾の部分が計都星
五方将: 具体名は不明
二十八宿: 宿は星座のこと。古代中国人は天の赤道に近い28の星座(中国特有の)を選んで二十八宿としました。この28を7つずつ四つに分け東西南北に振り分けています。角、亢、氐(てい)、房、心、尾、箕(以上東)、斗、牛、女、虚、危、室、壁(以上北)、奎、婁、胃、昴、畢、觜(Iし)、参(以上西)、井、鬼、柳、星、張、翼、軫(しん)(以上西)。この二十八の星座と七曜とさまざまな動物が結合して二十八宿が出来上がります。それらの中で西遊記で活躍するのは、奎木狼、亢金竜、昴日雞、角木蛟、斗木獬、井木犴、虚日鼠、星日馬、房日兎などです。
四大天王: 持国天王、増長天王、広目天王、多門天王
十二元辰: 岩波本の注には、ただ、「十二支(十二辰)の神」とあるだけです。第31回にも出てきますが、そこの注には第5回参照と書いてあるのみです。第31回からは中野美代子氏の訳であり、中野氏にしてはかなり歯切れが悪い感じです。前任者小野忍氏に遠慮したのか、本当に資料がないのかよくわかりません。私も十二元辰の具体名を探すには至りませんでした。但し、六甲六丁の項を参照
五方の五老: 中央の黄極黄角大仙、北の北極玄霊、東の崇恩聖帝、南の南極観音、このお四方は後で出てきます。出てこない西のお方はどなたかと思ったら、なんと西天釈迦であらせられました。出てこれないわけだ。なお、五老に西天釈迦の代わりに「三島十州の仙人」を五老の一人としているサイトが見受けられますが、同意出来ません。また、「三島十州の仙人」を東華大帝君だとしているところもありますが、同意できません。東は崇恩聖帝が既に配置され、残る方角は西であるのに、東華大帝君を西に配置するのは無理があり、又、三島十州は東洋大海にあるのですから、西に配置するのはそもそも無理です。それでは、何故このような誤解が生まれたのかと言うと、該当箇所の記述に問題があるのです。悟空が仙女に蟠桃勝会に誰が招かれるのかと尋ねた時の答えが「〜、南方の南極観音、東方の崇恩聖帝、十州・三島のお仙人がた、北極玄霊、中央の黄極黄角大仙といった五方の五老でございます。」なのですが、 これは西の「老人」が西天釈迦であることを隠すための明らかな西遊記の作者の操作です。何故隠さねばならないのかというと、仙女の答えの冒頭、「西天の仏さま」と重複するのを避けるため、また釈迦は五方の五老といったワンオブゼム、とった存在ではなく、全時空を制御するキングオブキングズ、という設定だからです。
許旌陽真人: 西晋(265〜316?)の道士で姓は許、名は遜、字を敬之と言います。没年は、319年に昇天したとか、136歳のときに昇天したとか色々あります。道教の一派、浄明忠孝道の教祖的存在。旌陽県の県令になったのでこの名があります。県令になったのが42歳の時ですから、この頃はまだお役人だった訳です。ただ、中国人は表向きは儒教、家では道教という人がかなり多いので、許先生もそうだったのだと思います。県令を辞した後本格的に仙人の道を修行し、本当に仙人になっちゃいました。悟空が五行山に閉じ込められるのが新の王莽の頃なので、それ以前の話に何故許旌陽先生が登場するのかについては、多分こういうことです。仙人になるような人は生まれ変わりを何度も行うのです。お釈迦さまも老子さまも何度も生まれ変わっているようです。
七人の仙女: 紅衣、青衣、白衣、黒衣、紫衣、黄衣、緑衣の各仙女
西王母: 知名度Aクラスの仙女で、色々な文献に登場します。古いところでは山海経(せんがいきょう)があります。山海経は中国最古の地理志で、その記述の古い部分は戦国時代以前のものだそうです。記述の方法は名山を起点とし、そこからどちらの方角へどれだけの距離に何と言う山があり、そこにはどのような神や獣がいてどのようなものが産出されるかが書いてあります。その中の西山経の三の巻に、「〜さらに西へ350里、玉山といい、ここは西王母が住むところ。西王母はその姿、人のようで豹の尾、虎の歯でよく嘯(うそぶ)き、おどろの髪に勝(かんざし)をので、天の災いと五つの刑罰を司る」という記述があります。この玉山がどこにあるのかは見当もつきませんが、玉山のちょっと前に流沙の記述があるので、タクラマカン盆地にある砂漠辺りかもしれません。同じく海内北経には、「西王母が机にもたれて勝(かみかざり)と杖をのせている。その南に三羽の青い鳥がいて、西王母のために食物をはこぶ。」とあります。また同じく大荒西経には、「人あり、勝(かみかざり)を頭にのせ、虎の歯、豹の尾をもち、穴に住む。名は西王母」とあります。どうも、山海経の西王母は後年のイメージとは程遠い、半人半獣の女神のようです。どれも髪飾りをつけています。
 周の穆王が崑崙山まで行き西王母の賓客となり、瑤池で酒宴を開き、王母は謡い、穆王は唱和した、と列子周穆王第三や穆天子伝にあります。淮南子覧冥訓には、羿(弓の名人)が西王母から不死の薬を賜ると、妻の姮娥が盗んで月の奔った話が載っています。漢武故事・西王母の項には、西王母がやってきたこと、武帝が不老不死の薬をねだったが、「帝は情欲など、欲心が多いので不死の薬を手にいれる事はまだ出来ない」と断られたこと、桃の実を七つ出し、そのうち二つを王母自身が食べ、五つを武帝に与えたこと、武帝が核(さね)を取っておくのを見て、「この桃は三千年に一度しか実をつけないので植えても無駄である」と言われたことなどが載っています。
崇恩聖帝: 五方の五老のうち東にいらっしゃる方。
北極玄霊: 五方の五老のうち北にいらっしゃる方。
黄極黄角大仙: 五方の五老のうち中央にいらっしゃる方。
五斗星君: 第4回参照
幽冥教主: 地蔵菩薩のこと
赤脚大羅仙: このお方について語るには水滸伝と平妖伝を読まねばならぬらしいです。ですから今はパスします。「赤脚」は裸足のこと。
四天師: 張道陵、葛仙翁、許旌陽、邱弘済
太上老君: 単刀直入にいうと、道教で一番偉いのはこのお方で、元始天尊とか玉皇上帝とかは所詮、キングメーカー太上老君の力によってポストにつけてもらったようなものです。言わずと知れた老子の真の姿(又は仮の姿)です。では、老子と太上老君、全く同じかというとかなり違います。よくわからない論理に見えますが、簡単にいうと老子は道家(哲学)の首領、太上老君は道教(宗教)の首領ということです。三清の項で問題アリとしたのは、もし、三清の一人が太上老君だとすると矛盾が起こるからです。どういうことかというと、P175に『三清に会えば「さん」呼ばわり』とあるので、悟空は三清に会っていることになります。一方、P189では、「老君には、会いたいと思いながら会えなかったんだ」とあります。本当のことをいうとこのくらいの矛盾は、我が西遊記に於いては矛盾とも呼べないくらいの可愛い問題です。説明はいくらでもあります。悟空はこの時酔っ払っていたので、記憶がすっ飛んでいた、とか、「三清に会えば」とは、全員に会っていたわけではなかった、とか。
燃灯古仏: 普通は燃灯仏と言います。どうも「古」が付いているのは西遊記だけかもしれません。この仏さまの最も有名なエピソードは、釈迦が前世に於いて菩薩であったとき、燃灯仏によって未来必ず成仏するとの予言が与えられたことです。法華経には釈迦の告白が語られ、それによると本当は違うらしいです。また、過去を司るのが燃灯仏、現在が釈迦、未来は弥勒菩薩とも言われます。
崩・芭二将: 悟空の配下、四健将のうちの二人
李天王: 第4回参照
三太子: 第4回参照
五方掲諦: 金光掲諦、銀頭掲諦、波羅掲諦、波羅僧掲諦、摩訶掲諦
四値功曹: 値年、値月、値日、値時の四功曹。値は当直の意。鬼官とあるので、閻魔さまか地蔵菩薩の配下でしょう、きっと。
五岳四瀆: 五岳とは東岳泰山、西岳華山、中岳嵩山、南岳衡山、北岳恒山、四瀆とは黄河、長江、淮水、済水。それぞれを管理監督する神。
羅睺星: 九曜星参照
計都星: 九曜星参照
五瘟: 春瘟、夏瘟、秋瘟、冬瘟、中瘟
六丁・六甲: 丁丑神将(趙子任)、丁卯神将(司馬卿)、丁巳神将(崔巨卿)、丁未神将(石叔通)、丁酉神将(ゾウ文公)、丁亥神将(張文通)、甲子神将(王文卿)、甲寅神将(明文章)、甲申神将(扈文長)、甲午神将(衛上卿)、甲辰神将(孟非卿)、甲戌神将(展子江)の十二将。使役神とあるので、下級神だと思います。眞武帝君の配下。十二元辰の別名か、少なくとも親戚ぐらいか?
四健将: 赤尻の馬猴二人と手長猿二人。
地理
三十三天: この類のイメージを把握するのには、凡そ二つの混乱が待ち受けています。一つは仏教と道教とで同じ名称を使いながらも、異なったイメージを持っている場合がある、ということです。この責任は専ら道教側にあります。というのは最初に唱えたのは仏教側で、その精緻な理論武装に対抗するため後から道教側も色々と作ったのですが、最初から全部新しいものを作るのは大変なので、仏教の方から骨組みは借りてきて、それを自分に都合の良いように作り変えました。そういうわけで、同じ場所でも仏教と道教とでは住む神が違ってたりします。
 もう一つの混乱は、「天」の意味です。今は「天」というと天国とか天界と言って空間を指しますが、本来「天」は「神」そのものを表します。インドでデーヴァ(神)と言っていたものが西へ行ってゼウスとなり、東へ行って天となったのです。場所を表す場合は、正確には天界と言います。とこらが、中国では、「天」でも「天界」でもど、ちらも「天」で済ますそうです。どちらでもいいというか、どうでもいいというか、ま、そういう細かいことには捉われないのが中国人です。
 そういう訳で、三十三天の本来の意味は、三十三という名前の天界でも、天界が33個ある訳でもなく、33人の神という意味が最初にあり、それを次第に場所の名前としても使われるようになりました。忉利天とも言います。
 仏教界では三十三天には帝釈天がお住まいがあることになっています。中央に帝釈天が、その四方に8人ずつ計32人の神がいらっしゃいます(8×4+1=33)。場所は須弥山の頂上ということになっています。ですから、銀角が悟空に須弥山を落としたときなんか、もう大変、何しろ平穏無事に過ごしてすっかり平和ボケしていたところ、いきなり、悟空に向かってまっさかさまにされて投げ落とされたのですから。しかも、悟空は担いだまま走ったのですから帝釈天さまも、聞いてないー!、ただもうびっくり、一時柴又に避難されたという噂です。
 一方、道教界では、三十六天というものを作り出します(数が大きいほうがエライんだゾ!という意味)。
兜率天宮: 弥勒菩薩は釈迦入滅後56億7000万年後に、この世を救済することになっていますが、その時まず兜率(卒)天に現れるとも、それまで兜率天で修行しているとも言われています。一方、西遊記では太上老君のお住まいということになっています。ただ、三清天中、太清天も太上老君のお住まいなので、どちらかが別宅ですが、西遊記では兜率天が本宅のようです。では、弥勒菩薩はどうしているのかというと、定かではありませんが、二世帯住宅になっているのかもしれません。ただ、66回では弥勒菩薩は極楽へ引き返していかれましたので、弥勒菩薩のお住まいはもっと西の方だと思います。最近の有力な説は、弥勒菩薩は家を二軒持ち、兜率天の方は太上老君に賃貸しているというものです。
「老君はん、いやはるか。」
「ああ、これは弥勒はん。」
「今日は、逃がしまへんで。」
「え、なんのことでっしゃろ。」
「え、やあるかいな。家賃、もう半年滞納してまんがな。」
「すんまへんなあ。景気が悪いよってなあ。」
「何ゆうてますんや、老齢年金ちゃんともおてますやろ。」
「あんなもん、カスですわ。それはそうと弥勒はん、ここの家賃のことやけどなあ、ちょっと高おまへんか。築三億年だっせ。ちょっとまけてもらわんと。」
「あほこいたらあきまへん。ここは三十三天の中でも最高の見晴らしのとこだっせ。それに家かて、わてが修行中に雨漏りの心配せんでもええように、極楽建設とシュミセンホームに頼んでごっつう丈夫な家建ててもらいましたんや。耐久年数五十六億七千万年だっせ。三億年て新築みたいなもんやおまへんか。」
「老人を苛めたらあかんわ。」
「払てくれんのやったら、あんさんの金丹担保にもろていきまっせ。」
「阿漕な坊主やなあ。この間、イカレ猿に全部食べられて何も残ってまへんわ。」
・・・
 但し、この説は学会では全く認められていないので、人には言わないようにしましょう(なんか、「ちゅうごくちゅうどく」みたな・・・)。
離恨天: 兜率天宮は離恨天にあることになっています。そうすると兜率天と離恨天は同じものなのでしょうか。私が持っている仏教辞典には離恨天という項はありません、そうすると道教関係の天なのでしょうか。語句の説明のはずなのに、「でしょうか」では無責任だとは思いますが、正直なところ、よくわかりません。
数字
三千六百株: 蟠桃園にある桃の木の総数
千二百株: 実がなるまでの年数によって蟠桃園の桃を三つに分けて時のひとつのグループの株数
3,000年: 蟠桃園の前側にある桃の実が熟すまでの年数
6,000年: 蟠桃園の中ほどにある桃の実が熟すまでの年数
9,000年: 蟠桃園の後ろ側にある桃の実が熟すまでの年数
百十年間: 悟空が天界にいた期間を下界の時計で計った長さ。但し、半年天界にいたのだから180年が妥当。
季節
季節の記述は特になし
変身: (P181)たけ二寸ほどの人間に化け〜。(P186)からだを揺すって赤脚大仙に化け〜。何々の術とは書いてありません。所謂変身の術。
定身の法: 相手を動けなくする術
催眠虫: (P188)にこ毛を〜噛みくだき、ぷっと吹き出してから呪文をとなえ、「変われっ!」と叫びますと、なん匹もの催眠虫になったものです。
隠身の法: (P190)(P194)隠れ身(そのままか!)
觔斗雲: (P1904)(P194)
身外身の術: (P207)そうは書いてありませんが、記述から間違いなく身外身の術です。
武器
金箍棒: 略
故事成語
味はよくともわるくとも、やはりおいしい故郷の酒: (P193)
仲よくともわるくとも、やはりなつかし故郷の人: (P193)
敵を一万殺したら、味方も三千失うぞ: (P208)
料理
: これは料理ではありませんが、一応食べ物なので・・・。桃には仙界のシンボルという意味合いがあります。色といい、形状といい、中の大きな種といい、桃は非常に女性を連想する果物です。仙界というのは、元来、男の文化であり、神秘と安楽(と快楽)を女性に求める訳で、女性(又は母)への回帰の象徴が子宮であり、洞穴であり、桃の種なのです。ですから、桃太郎が桃から生まれるのは至極当然のことなのです。
 古い西遊記(大唐三蔵取経詩話のこと)では、一行が西王母の池(瑤池)の近くを通った際、三蔵が悟空に「食べたいから桃を盗め」とそそのかしています。また、その桃が落ちると子供のなるなど、人参果の要素も入っており、物語の発展過程という観点から大変興味深いものがあります。
九転金丹: 老君特製不老不死の特効薬。これも料理ではありませんが・・・。不老不死の最上の薬は、草木から採取されたものではなく、金属から作られたものとされてきました。そして、その中でも、金と丹が最良のものなのです。金はテルル、セレニュウム、ビスマス以外に化合物を作りません。言い換えると酸素と化合しないので、また言い換えると腐食しないのです。余談ですが、鉄が腐食する場合にのみ錆びると言います。また、急激に腐食(錆びる)することを燃えるとも言います(正確には違うらしい)。(金が)腐食しないということは、その美しさがずっと保たれるということで、こういうものを服用したら、体もずっと美しさが保たれる(不老不死)に違いありません、というのが金を服用する根拠です(金箔入りのお酒とか)。
 丹は丹砂を材料として作りますが、丹砂の成分は何かというと水銀と硫黄の化合物で、硫化水銀です。これを熱すると
 HgS + O2 → Hg + SO4
という反応が起こり、水銀が採れます。この水銀を熱すると
 2Hg + O2 → 2HgO
という反応が起き、酸化水銀が出来ます。ここまでの過程を色という面から見ると、丹砂は赤、水銀は銀色、酸化水銀は赤となります。ところが丹砂と酸化水銀は外見上、良く似ているので、あたかも丹砂に戻ったように誤解されました。還丹と言われる所以でもあります。これをさらに熱すると再び、水銀と酸素に分解され、以後この反応が可逆的に起こります。この元に戻る(ように見える)ということが再生のシンボルとなり、尊ばれた訳です。このお薬は高価なこともあり皇帝の間で服用者が多く現れ、唐後期の皇帝はほとんど水銀中毒で死んじゃってます。九転というのはこの可逆的反応を9回(最初の反応を除外すると8回?)繰り返すのでそう呼びます。何故9回繰り返すのかというと、中国人は9が好きだからです。


 第6回
登場人物
大慈大悲救苦救難霊感観世音菩薩: 
西王母: 第5回参照
恵岸行者: 托塔李天王の第二子。木叉とも呼ばれます。別系統の西遊記、或いは封神演義では木と呼ばれています。兄、金、弟が哪ですから「」がバランスというものですが、今の西遊記では「叉」です。この、恵岸と木叉、歴史的事実としては実在した別人です。この二人は、7世紀に入唐したソグド出身の僧、僧伽の弟子でした。この僧伽は入寂後泗州大聖と呼ばれるほどの偉いお坊さんでした。忘れてはならないエピソードが一つあります。この僧伽、後世、観音菩薩の化身とも信じられるようになりました。西遊記で恵岸行者が観音菩薩の弟子となっているのも理由のあることなのです。(中野美代子:「孫悟空の誕生」、「西遊記の秘密」による)
四大天師: 第5回参照
赤脚大仙: 第5回参照
邱弘済: 第3回参照
太上老君: 第5回参照
虚日鼠: 二十八宿の一人。第5回参照
昴日雞: 二十八宿の一人。第5回参照。第55回で活躍。
星日馬: 二十八宿の一人。第5回参照
房日兎: 二十八宿の一人。第5回参照
九曜星: 第5回参照
顕聖二郎真君: はっきりとした来歴はわかりません。わからないというか、説がたくさんあるのです。その中で有力なのは二つです。一つは秦の時代の李冰とする説です。李冰の名は史記、河渠書第七にも出てきます。治水に功のあった人で蜀の太守となっています。その生きた時代ですが、よくわかっておらず、秦の昭王、孝王、荘襄王あたりの人です。水害は竜によって引き起こされると信じられていたので、いつの間にか竜退治をする人ということになり、そういうことをするのは人ではなく神であろうということで、神として奉られることになります。ところが、それだけでは何故「二郎」なのか説明がつきません。そこで登場するのが、李冰の息子、李二郎で、実は、親子で、または二郎が治水工事をしたのだ、だから、悪竜を退治したのは二郎なのだという説がひろまり、二郎真君となってしまった、というのが一つの仮説です。実際の成り立ちはもっと複雑な過程を経ています。  もう一人二郎真君のモデルとされているのが隋の趙cという人です。多くの説明書には「煬帝に嘉州の太守に任命される。犍為で蛟が害をなしたのでこれを退治する。嘉州の人は趙cを神とする」とあります。一つ疑問がわくのは、隋の時代には嘉州という町も地域もないと思うのです。嘉州という町は現在の楽山市ですが、それは唐の時の呼び名で隋では眉山郡という名前だと思うのです。犍為というのは眉山の南にある町です。
ともかく太宗の時には神勇大将軍に封じられ、灌江口に祀られました。玄宗が蜀へ行ったとき赤城王に封じられました。宋の真宗は清源妙道真君に封じました。このお方がいつどういう訳で二郎神となったのかは定かではありません。事実として、元明の戯曲では二郎神は趙cであるということになっています。
しかし、今までの説明では、二郎真君が西遊記では楊姓である説明がつきません。今取り上げたのは、李さんと趙さんでした。そこでもう一人登場してもらいましょう。封神演義に出てくる二郎神は楊戩と言います。この人は北宋の人なのですが、悪逆非道の宦官だったそうで、何故そんな人が二郎神になってしまったのかわかりませんが、とにかく、西遊記の二郎神の姓が楊なのは、この系列の話の混入と見られます。
 中野美代子氏翻訳西遊記第一巻にも詳しく出ています。
草頭神: 小野忍版では神兵となっていました。中野版でもこれがどのような神なのかの断定は行われていません。なんと太田版(平凡社)では「えせ神」となっています。神モドキ・・・?
梅山六兄弟: 康大尉、張大尉、姚大尉、李大尉、郭申将軍、直健将軍のこと。詳しいことはわかりません。中野先生は眉山七聖との関係を指摘されています。眉と梅の発音は同音だそうで、その辺りを眉から梅への変換(眉山の方が梅山より古い)が起こったのだろうということです。
李虎: この李虎をはじめ、次の張龍や趙甲、銭丙などは、固有名詞ではなく、日本語で言う、山田さん、田中のような使われ方なのだと思います。ただ、実際にこのような名前の方もいらっしゃる訳で、唐の初代皇帝の李淵のおじいさんがこの名前で、西魏の八柱国(8人の大将軍くらいの意味)の一人。五胡十六国の一つ、成漢を樹立した李特のおじいさんも李虎です。
張龍: 三国志に張龍という人が出てきます。もう一つ、物語の登場人物として三侠五義に出てきます。三侠五義とは、包拯という名裁判官(宋朝)の物語でその部下の一人に張龍というのがいます。ただ、三侠五義自体は清朝の小説ですから、西遊記の作者はこれを知りません。
趙甲: 未詳
銭丙: 未詳
李天王: 第4回参照
三太子: 第4回参照
地理
普陀落伽山: 観音さまの現住所。サンスクリット語patalakaの音訳で、インドの南にある山。長江の入り口付近にある舟山群島にも普陀山という観音様の別荘があります。観音様は海の守り神でもあったようです。
瑶池: 普通は崑崙山の頂上にあるとされています。その場合は西王母も崑崙山に住んでいることになります。しかし、西遊記の場合は判然としません。天界のどこかにあるようにも思えます。または崑崙は天界と同等の扱いなのかもしれません。
灌州の灌口: 現在の灌口鎮で、成都の西北になります。
昆吾山: 山海経 /中山経に「(略)さらに西へ二百里、昆吾の山という。山には赤銅が多い」とあり、列子/湯問篇第五に「周の穆王が大軍を率いて激しく西戎の国を征伐したときのこと。西戎の国は降伏のしるしに昆吾(原文は二字とも金ヘンがつく)の名剣と火浣の布とを献上した」とあり、注には昆吾というのは国の名とあります。このように昆吾というところは銅の産地で有名であり、それから名剣が作られたようです。
数字
1,200: 草頭神の数
300合: 悟空と真君がわたりあった合数。「合」は辞書によると「〔接尾〕助数詞。物事の度数や個数を数えるのに用いる」とあり、「試合や合戦の回数を数える」とあります。思うに、勝負が決まるまでを「一合」とはいわずに、間合いを計っていた両者が接近して太刀を交え、しかし、その時には勝負がつかず、両者一旦離れ、再度間を計るまでを「一合」というのではないでしょうか。
13: 悟空と真君の変化の回数。この数字は文字としては現れません。
真君は花果山に到着したとき、「それがしがここに来たのは、やつめと変化の術の果たしあいをするため」と述べています。まず、変化を羅列します。
1.真君が身の丈一万丈となる
2.悟空が身の丈一万丈となる
3.悟空が雀に化ける
4.真君が鷹に化ける
5.悟空が鵜化ける
6.真君が大海鶴化ける
7.悟空が魚に化ける
8.真君が魚鷹(みさご)に化ける
9.悟空が水蛇化ける
10.真君が丹頂鶴化ける
11.悟空が花鴇(かほう、野雁)化ける
12.悟空が土地廟に化ける
13.悟空が真君化ける
という次第です。
 西遊記と数字との関係、或いは西遊記の作者の数字への固執は既に多くの場で指摘されているところです。特に「9」への固執は顕著であり、中野美代子氏によって大方解析されています。その他「7」への執着も中々の物があります。そして「13」へのこだわりも相当なもので、例えば、時系列の矛盾を犯してまで「貞観13年」という設定をしています。
季節
 季節の記述はありません。
変身: 悟空と二郎真君の変身合戦
武器
金箍棒: 略
渾鉄棍:木叉の武器。棍棒と言われるように「棍」も「棒」も≪棒≫なのですが、ただの棒が「棍」、打撃強化のための工夫(複数の素材を使う、棒先に刃をつけるなど)を施したものが棒。恵岸の物は重さ千斤。
照妖鏡:隠れた、または変身した妖魔の居場所や正体を暴く鏡。
弾弓:弾丸を発射する弓のこと。弾として、石、乾かした粘土、焼いた粘土、鉄などが使われ、その大きさは大きいものでゴルフボールくらい、小さいものでパチンコ玉くらい。主に狩猟用として使われた。
三尖両刃槍:槍の先に三またになった両刃の剣がついた武器。全長約3メートル。刃先だけでも70センチくらいある。二郎真君が愛用したため、二郎刀とよばれるようになりました。
 ちなみに剣と刀の違いは、剣は両刃、刀は片刃なのですが、この三尖両刃槍は両刃にも拘らず二郎刀と呼ばれています。西遊記では神鋒とも呼ばれています。
金剛琢:老君のブレスレッド。左腕につけている。昆吾山の鋼を練りきたえ金丹を足したもの。金剛套ともいう。この「わっか」、第50回から始まる「独角兕大王事件」で再び現れる。
浄瓶と楊柳の枝:武器ではありませんが。。。観音が悟空に向かって投げようとして老君に止められたという経緯があります。法華経入法界品に、善財童子が観音菩薩に出会う場面があります。その場面を描いた一絹本に楊柳の枝を挿した浄瓶が描かれています。詳しくはこちら
故事成語
記述なし
料理
記述なし


 第7回
登場人物
南斗星: 第4回参照
大力鬼王: 初出は多分第六回で、そのときは二郎真君への聖旨を伝える使者として登場します。平凡社版にも岩波版にも注釈がありません。玉帝の傍に仕えているので道教系のような気もしますが、よくわかりません。
太上老君: 第5回参照
祐聖真君: 北極大帝の四属将の一人。四属将を四聖真君といい、天蓬・天祐・翊聖・佑聖を指します。ここに出てくる天蓬が八戒の前身である天蓬元帥であるかどうかは微妙ですが、今は別人ということにしておきます。
王霊官: 北宋の徽宗のときの道士、林霊素の孫弟子。西遊記では祐聖真君の付き人をしているが、本来は九天応元雷声普化天尊(第四十五回で名前だけ登場)が主人か?
遊奕霊官: 祐聖真君とともにお釈迦さまのもとへ悟空退治お願いの使者として出向く。出自は不明。奕は碁を打つこと
四大金剛: 岩波本注には、「金剛は金剛杵をもつ金剛力士のことで、山門の左右を守る仁王のこと。しかしながら四大金剛となると不詳・・・」とあります。中野先生にわからないもが、私にわかるわけはありませんが、ちょっと書いておきます。「四大」というと普通は、有名な4人、という意味になります。しかし、金剛界曼荼羅に四執金剛というものがあり、これを四大神といいます。この四大とは水神、風神、地神、火神の4人を指します。一つの可能性です。
八大菩薩: 岩波本注では具体的に誰だれかは不明、とあります。これは多分、諸説あって特定できない、ということだと思います。
一例として、
1.観自在、弥勒、虚空蔵、普賢、金剛手、文殊、除蓋障、地蔵
2.金剛手、観自在、虚空蔵、金剛拳、文殊師利、転法輪、虚空庫、摧一切魔
3.金剛手、妙吉祥(或いは弥勒)、虚空蔵、慈氏(或いは文殊)、観自在、地蔵、除蓋障、普賢
4.文殊師利・観世音・得大勢至・無盡意・宝檀華・薬王・薬上・弥勒
というグループがあるそうです。
 また、平凡社本第五十二回注1では
八大明王の別称。八方の守護者で八大菩薩の変現したもの。すなわち馬頭明王(観音)、大輪明王(弥陀)、軍荼利明王(虚空蔵)、歩擲明王(普賢)、降三世明王(金剛手)、大威徳明王(文殊)、不動明王(除蓋障)、無能勝明王(地蔵)、としています。
如来: 神通無辺のボケじいさん
阿難・迦葉: お釈迦さまの高弟。十大弟子。第九十八回、無字経事件で活躍(?)
天蓬・天佑: 祐聖真君の項参照
三清: 第5回参照
四御: 四帝のこと。小野岩波版では未詳となっていました。四極大帝のこと。北極紫微大帝、南極長生大帝、太極天皇大帝、東極青華大帝
五老: 第5回参照
六司: 女官関係の六つの役所
七元: 北斗七星のこと
八極: 古代中国の地理の概念の一つ。中国はまず中心に九つ(3×3)の州があり、これを九州と言います。その外に八いん(月+寅)、その外側に八紘(こう)、その外側にあるのが八極です。東北に方土山、東に東極山、東南に波母山、南に南極山、西南に編駒山、西に西極山、西北に不周山、北に北極山があります。その山に住む神のことでしょうか?よくわかりません。
九曜: 第5回参照
十都: 岩波本注によると、10の都の守護神か?その都がどこかは不明
五炁真君: 炁は気で、五気真君となりますが、不詳
五斗星君: 第4回参照
三官: 三元大帝、三官老爺、三界公とも呼ばれます。天界を統括するのが天官紫微大帝で賜福を司り、地界を監督するのが地官清虚大帝で赦罪を司り、水界のトップが水官洞陰大帝で解厄を司ります。竜王の三人の娘が三人とも陳子椿という人物の妻になり(うらやましい!)、それぞれが産んだ男児とも言われています。また、天官は堯、地官は舜、水官は禹という説もあります。
四聖: 祐聖真君の項参照
左輔・右弼: 岩波本注によると、北斗七星に輔星と弼星を加えて北斗九星となる。
: 第4回参照
西王母: 第5回参照
寿星: 南極寿星。日本や中国では冬、南の地平線すれすれにチラッと見えるだけなので、幸運にもこの星を見ることができると長生き間違いないそうです。七福神の一人。第七十九回にも出演なさいます。
赤脚大仙: 第5回参照
五方掲諦: 第5回参照
地理
兜率宮: 第5回参照
霊鷲山: お釈迦さまがいらっしゃる雷音寺がある山
五行山: お釈迦さまの指によって悟空を押さえつけるために作られた山。唐の時代になって両界山と呼ばれるようになったと第14回に書いてあります。このことから五行山は南瞻部州に作られたことがわかります。
 そういうことはまあ良いとして、「お釈迦さまの指によって作られた山」というのが気になります。西遊記には「五本の指を金・木・水・火・土の五つの連山に変え」とありますが、五行山を作った後のお釈迦様の手はどうなっちゃったのでしょうか。。。
数字
49日: 悟空が八卦炉に入れられていた日数
1,550劫: 玉帝の修行期間。1劫は129,600年なので、200,880,000年ということになります。約2億年ですが、これがもし天界時間だとすると下界時間ではその360倍になります。計算すると72,316,700,000年、約723億年となります。
13: 第6回で少し13について触れました。ここでは第七回のなかの13について見てみます。西遊記は各回最初に回目があります。で、第七回はどう書いてあるかというと
 八卦炉の中より大聖が逃れること
 五行山の下にて心猿を鎮めること
 となっており、8と5が出てきます。勿論8+5=13です。
 悟空が八卦炉で煅煉される日数は、「七七・四十九日」となっており、「4+9(=13)」と読めます。この算数の記号である「+」、当然、既に中国に伝わっていたと思います。
 お釈迦さまが、悟空を収服し、玉帝が祝宴を設けたときに招待した神々の羅列がP267にあります。すなわち、三清、四御、五老、六司、七元、八極、九曜、十都で、三+四+五+六+七+八+九+十=五十二(52)で、この52というのは13の倍数です。(13×4=52)。
 さらに、「ひどい!あまりにも恣意的すぎる!」という批難を恐れずに書けば、次のようなものもあります。悟空が八卦炉を蹴倒し脱走、霊霄殿の前で王霊官に出くわす件(くだり)があります。そこで戦いになりますが、ここでの登場人物の数をかぞえてみると、天界側は王霊官とそのボスの祐聖真君、それに雷将36人の計38人、かれらと悟空が戦うのですから登場人物は計39人になります。これも13の倍数です(13×3=39)。またP255に雷将が手にしている武器が羅列されていますが、数えると12あります。王霊官も鞭(べん)という武器をもっていますが、その名の武器は先の12の武器の中に含まれているので種類としては、新たには数えません。それに悟空の如意棒を加えると12+1で13となります。
季節
季節の記述は特になし
三頭六臂: 三面六臂に同じ。第4回参照
武器
 武器については岩波本(中野版)に図解付きで載っているのでここでは省略します。
故事成語
帝の位はまわりもち。年が明けたら俺の番: (P261)
料理
龍肝: 中国料理「八珍」のひとつ。ちなみに「八珍」とは龍肝・鳳髄・兎胎・鯉尾・鶚炙・猩脣・熊掌・酥酪の八つ。兎胎は兎の胎児、鶚炙はミサゴの焼肉だそうです。漢方に伏龍肝というものがあり、これはかまどの中で長い間火の気を浴び黄色くなった土のことだそうです。
凰髄: 同じく、中国料理「八珍」のひとつ。それにしても、龍や鳳凰、抗議しないんですかね。あと、これらのお料理は宴会(安天大会)に出されたのですが、主客であるお釈迦さま、食べたんでしょうかね。一般常識としては、仏教の教義上、食べることはできないと思うのですが、「いやあ、うまいですなあ、わっはっは」って食べてたりして・・・
蟠桃: 蟠桃って空想の果物だと思っている方、ここをみてください。ところで、蟠桃って、蟠桃園以外にもあったのでしょうかね。蟠桃園の桃なら、悟空があらかた食べてしまってろくなものが残っていないはずです。それとも、仙女がもいできたのを、蟠桃会が中止になったので、こちらに回したのでしょうか。もいでから50日以上たっていますが。。。なお、第5回参照。
玉液: 道教方面のもので、とても料理とは言えず、飲み物とも言えない代物です。以下は意味不明ですが載せておきます。
「玉液」は内丹の行気内煉の時に舌の下に生じる甘い唾液のことである。この唾液を飲み込んで丹田に入れることを、「玉液還丹」という。(郝勤 《竜虎丹道−道教内丹術》 (中国・四川人民出版社)より 神坂風次郎 訳)より抜粋
また、鍾呂は「玉液は腎液である。」と言っているそうです。
霊芝: サルノコシカケ科のきのこで マンネンタケともいい、実際にある健康食品。「霊芝」でインターネット検索すると、たくさんのサイトがあります。
瑶草: 第1回参照
碧藕(へきぐう:蓮根): いわずと知れた仏教の花、ハスの地下茎ですね。蓮根は泥の中にあるにも拘わらず、その花は、あのように美しいというところが、仏教の極楽浄土の思想にピッタリです。南無妙法蓮華経というお経ありますし、お釈迦さまがお座りの台座のことも蓮華座といいます。
金丹: 第5回参照
交梨: 岩波本注によると、梨は外が青(東、木)、中が白(西、金)で、金木が交わるので交梨というそうです。
火棗: 棗は西遊記で時々出てきます。煉丹術に関係あるそうです。外が赤い(南、火)ので火棗とも言います。交梨火棗で神仙の食べ物ということ。
鉄の団子、銅のスープ: これについて語りだすと大変長い話になるので、概略だけを述べます。要するにこれは不老長生なのです。道教には不老長生の思想が色濃くあります。否、極端に言えば不老長生しかないのです。そのための方法として、丹という思想があります。それには外丹と内丹の二つがあります。内丹というのは修行することによって体の中に丹を作り出し、それによって不老長生になろうという考え方です。それに対して外丹というのは薬を服用して不老長生を得ようとするものです。その薬というのが、水銀とか鉛とかなのです。要するに金属を服用することによって体を金属にしてしまうということです。金属は(なかなか)腐りません。特に金は腐食しません。水銀に防腐作用があることは昔から知られていて、一体何人の皇帝が狂い死にしたか知りませんが、すべて道教サイドから水銀を服用すれば長寿が得られるとそそのかされ服用した結果なのです。また、二十世紀後半に発見された中国のミイラからも水銀が検出されたそうです。
 考え方はこれと同じなのです。鉄や銅を食べさせることによって悟空の体を不死身にさせるということなのです。ただ、この考え方を物語の筋からみると矛盾があります。苦労してやっと捕まえた悟空をどうして今以上に強くさせようとするのか?、それを何故仏教の総帥のお釈迦さまが指示されるのか?・・・しかし、考え方はやはり、外丹なのです。


 第8回
登場人物
如来: 第7回参照
玉帝: 第1回参照
五百羅漢: 羅漢は正しくは阿羅漢。古代サンスクリット語(Arhan)で「尊敬と施しを受けるに値する聖者」の意。最初の仏典編集に集まった500人の弟子を五百羅漢と称します。異説あり。
八大金剛: 八大金剛童子とも呼ばれ、不動明王の眷属の八人の童。
童の名前は二つのグループに分かれます。
1 慧光、慧喜、阿耨達、指徳、烏倶婆ガ、清浄比丘、矜羯羅、制タ迦
2 除魔、後世、慈悲、悪除、剣光、香精、検増、虚空

無辺菩薩: 無辺菩薩についてはよくわかりませんが、枕飯の由来について次の話は有名なようです。
 大般涅槃経の中に「虚空等如来が弟子に向かって『西方の釈迦牟尼如来が、まもなく般涅槃される。お前はこの香飯を持っていきなさい。世尊はこれを食べてから般涅槃されるだろう』と。その命をうけて無辺菩薩が娑婆世界に赴き、世尊のところに至って、『我等の食を受けたまえ』と申し出た。しかし如来は説きを知って黙念として受けられなかった」とあります。無辺菩薩が香飯を差し上げようとしたのに、お受けにならなかったので、入滅されてすぐにお供えしました。
四菩薩: 宗派や経典によって異なります。胎蔵曼荼羅では、曼荼羅の中央に位置する「中台八葉院」に表わされる四体の菩薩、すなわち普賢菩薩、文殊菩薩、観音菩薩、弥勒菩薩を四菩薩と称する場合があり、これが西遊記では妥当だと思います。曼荼羅の中に上行菩薩、無辺菩薩、浄行菩薩、安立行菩薩が並ぶこともあります。
阿難・迦葉: 第7回参照
福星・禄星・寿星: 
観音菩薩: 梵語ではアヴァロキテシバラと言います。「世の音を観る」という意味で、あらゆる人の願い事を見抜くという意味です。経典でお釈迦さまは「善男子」と呼びかけていますが、西遊記では女性ということになっています(後に悟空が「行かず後家」と悪態をついています)。私の観音さまに対する印象は、豊満なペチャパイです。
 この項は、後に色々と追加されることになるでしょう。
恵岸: 第6回参照
金頂大仙: 霊鷲山の麓にある玉真観の主
沙悟浄: 
嫦娥: 恒娥とも呼ぶ。弓の名人、后羿の妻。両人とも元は天界の住人。10個の太陽が一度に出たとき、后羿は9個の太陽を射殺しました。そのため天帝の怒りを買い二度と天界には戻れなくなりました。妻の嫦娥も同様の処置を受けました。天帝は、「あの10個の太陽を何とかしろ」と命じたのであって、威嚇、よくやって1、2個傷つけて見せしめにする程度を望んでいたのです。何故なら太陽は自分の子供だったからです。
 嫦娥と后羿の仲はおかしくなりました。后羿のせいで天界へ戻れなくなったからです。天界へ戻れないということは、死後は地下の幽都へ落ちることを意味します。后羿にとってもそれは耐え難いことでした。西王母が不死の薬を持っていることを知り、苦難の末、西王母に会うことが叶い薬を請いました。西王母はこの英雄の不幸な境遇に同情し、二人分の不死の薬を与えました。しかしそれを一人で飲めば神に戻れる薬でもあったのです。家に戻った后羿は全て正直に嫦娥に話しました。后羿は適当な祭日の日に二人で飲むつもりでしたが、恨みを持っていた嫦娥は薬を一人で飲んでしまいました。そうすると次第に身が軽くなり天へ上り始めましたが、このまま天府へ行けば夫にそむいた妻として辱められることを恐れ、とりあえず月宮へ隠れることにしました。
 月に昇った嫦娥はこのあと蟾蜍(ひきがえる)になるのですが、西遊記では美女のままです。
猪悟能: 
卯二姐: 元天蓬元帥の妻。なお底本の注を参照
西海竜王三太子・敖閏: 
邱・張の二天師: 第5回参照
孫悟空: 
土地神: 土地の守り神。次に出てくる城隍神、墓の守り神である后土神も土地神。どれも下級神で孫悟空にどやされるのを常としています。
城隍神: 土地神。土地神の中でも、城壁に囲まれた町の支配者。人間の生前の悪事を配下の土地神に見張らせ、死後それを裁きます。
地理
霊鷲山: お釈迦さまの本拠地
東勝神州・北倶盧州・西牛貨州・南瞻部州: 第1回参照
落伽山・潮音洞: 観音さまの本拠地。これがどこにあるのかを詮索していると頭が痛くなってきます。・・・あ、またアタマ痛くなってきた。
弱水・流砂河: 弱水は実際にある河です。極、簡単な地図を作成しましたが、弱水の辺りは砂漠です。ゴビ砂漠の西端、タクラマカン砂漠の東端にあたります。そしてこのあたりを特に莫賀延磧と呼び、また流砂河とも称されます。砂が風に吹かれて河のように見えるの「河」が付きましたが、河ではなく砂漠です。この辺り一帯は全部砂漠なのですが、どうしてここだけ莫賀延磧、或いは流砂河と特に名前が付いたのかというと、ここが西域への通行路であり人がよく通ったからだと思います。
 ところで西遊記では弱水=流砂河という立場を取っています。ここ第8回でもそうですし、第22回で沙悟浄が再び登場するところでもそのように書かれています。記述の矛盾に満ち溢れている西遊記にあって、珍しく統制が取れています。
 中国最古の地誌「山海経」にも弱水、流砂の名前が見えます。しかもそれは一ヶ所だけではありません。私が作成した山海経索引に因ると、弱水は4回、流砂は10回出てきます。その中でこの二つの名前が同時に現れる所が2ヶ所あります。ひとつは海内西経、もう一つは大荒西経です。この二つが大体どの辺りを指しているのかは良くわかりませんが、どちらも「西」がついているので多分、中原からみて西方面なのでしょう。このうち大荒西経に、流砂のほとりに(山海経でも川として扱っています!)昆侖の丘があり、その丘には西王母が住み、丘のふもとに弱水の淵がある、とあります。
烏弋: うよ。漢書列伝「西域伝第六十六上」に
「皮山国は、王が皮山城に治し、長安を去ること一万五十里。戸数五百、人口三千五百、勝兵が五百人いた。左右の将、左右の都尉、騎君、駅長がそれぞれ一人いた。東北のかた都護の治所まで四千二百九十二里、西南は烏と(杔の木偏の代わりに禾偏)国まで千三百四十里ある。南は天篤に接し、北は姑墨国まで千四百五十里、西南は罽賓国・烏弋山離への道に当り、西北は莎車に通じ、三百八十里ある。」
とあります。皮山という地名は現在もあり、和田(ホータン)の西に位置します。罽賓国は今のカシミール当たります。漢書の注に、「烏弋山離」は或いは烏弋と山離の二国、罽賓国の西南、インダス川上流の西、アフガンの東南、とあります。
韃靼: モンゴル、タタールのこと。タルタルソースはタタールから来ています。但し、タタール(Tatar)とタルタル(Tartar)との間にタルタロス(Tartaros)というギリシア神話(奈落の神)が介在しています。ヨーロッパの人から見て、タータル人(モンゴル人)→怖い→タルタロスのようだ、このような連想が働きました。タタールの人々には生肉をパテ状にしたものに玉ねぎ、塩コショウで作ったソースをかけた料理がありました。それをタルタルと呼ぶようになったそうです。
 正確に言うとタタール人と呼ばれた人はモンゴル系だけではなく、ツングース系、テュルク系の人も時代によってタタール人と呼ばれたようです。ですから韃靼人はタタール人だと言えますが、タタール人は韃靼人だとは言うことは正しくありません。
福陵山・雲桟洞: 天蓬元帥が卯二姐と結婚して住んでいた場所。
五行山: 第7回参照
大唐国・長安: 唐の都
数字
42条: 白虹の条(すじ)。お釈迦さまの言葉に応えて。
500年: 孫悟空が五行山に閉じ込められてからの年数。
 お釈迦さまの言葉、「ここではどれほどの年月がたったかはわからぬが、俗界ではおよそ500年にはなるであろう。」
 他の世界の時間はわかるのに、自分の世界の時間がわからない・・・ボケ老人、真髄のお言葉であります。ボケていないとすると、別の解釈が必要です。一例として、仏界の時間は俗界よりもずっと速く進むので、もう数え切れないくらいの日数が経っている。
35部: 三蔵の総部数
15144巻: 三蔵の総巻数
八難: 底本注17参照
九環: お釈迦さまから取経者へ与える錫杖の形態
三つの箍: お釈迦さまが観音に渡した三つの緊箍児。《金・緊・禁》の三種の呪文があります。
二、三年: 観音が金頂大仙へ予想した、取経者が到着するまでの年数。
八百里: 流沙河の川幅。
千万里: 流沙河の長さ
2000: 天蓬元帥が玉帝から受けたお仕置き、金槌打の回数
300: 敖閏が玉帝から叩かれた回数。
六文字: 五行山に貼ってあるお札の文字数。唵・嘛・呢・叭・咪・吽。注:咪は口と米の間に之繞(しんにょう)が入る
季節
 第8回が始まったのは悟空が五行山に閉じ込められた翌日。観音がお釈迦さまの命で取経者を探しに行くのが、下界時間でそのおよそ500年後の中秋(陰暦8月15日)。長安に到着した日にちですが、取経者探しに出発したのと同じ日とも読めます。
 特にありません。
武器
宝杖: 元、捲簾大将、後の沙悟浄の武器。固有名詞ではないと思います。第8回に載っている挿絵は月牙鏟です。
 鏟は明の頃から使われた、農具或いは工具から発達した武器です。両端にショベル状の刃と月牙がついています。鏟は僧侶に愛用されたところから禅杖とも呼ばれます。「宝杖」という呼び方はこのことと関係あると思います。ショベル状の刃がない月牙鏟もあり、どうも捲簾大将、後の沙悟浄の武器はこちらのようです。


篠田耕一著 「武器と防具 中国編」新紀元社 より転載させていただきました。
渾鉄棒: 第6回 《渾鉄棍》 参照
故事成語
さきの幸せ望むなら、幸せこわすことするでない: (P312)

お上に頼ればぶち殺される。仏に頼れば餓死させられる: (P312)

正しい願いにたいしては、天は必ず報いてくれる: (P313)

天にて罪を犯したからにゃ、お祈りしたとて無駄になる: (P313)

その言を出だして善なれば、すなわち千里の外もこれに応ず。その言を出だして不善なれば、すなわち千里の外もこれに違う: (P319)
 易経繁辞上伝第八章。「これに応ず」、「これに違う」の後に、「身近にいる人はなおさらである」という句が入っている。また、この第八章は「亢竜悔あり」、「断金の交わり(金蘭の交わり)」などの故事成語が生まれた、血筋の良い章です。
料理
 記述なし