>大地の歌にまつわる7つの唐詩(一)

第24回  大地の歌にまつわる7つの唐詩(一)

      <牛と悠長に遊んでいる場合ではありません。>
 スケジュール表をよくよく見たら、なんと6月の定期演奏会は「大地の歌」ではありませんか!初めてこの曲を聴いた時、1曲目のテキストの中の「生は暗し、死もまた暗し[Dunkel ist das Leben, ist der Tod!]」というフレーズを、若気のいたりで文学青年を気取っていた私はいたく気に入ったものです。この曲は全曲を通して唐詩を(シャレか!?)題材にしています。こんな格好の材料がころがっているのに、牛と悠長に遊んでいる場合ではあっりません。という訳で、今回のお題は「大地の歌にまつわる七つの唐詩」です。
      <ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い>
 この川柳を初めて見たときは思わず噴き出しました。日本では昔、ゲーテのことをギョエテと書いていたことがあったそうで、外国の発音を日本語で書くときの難しさを、ユーモアを込めて表現したもので(と勝手に解釈している)、川柳の最高傑作の一つではないかと思っています。
 私の空想:(天国にいてしかも日本語が読める)Goetheが明治かそこらの日本の学術論文かなんかに「ギョエテ」という文字があるのを見て、側にいたシラーに「・・・Ist er Ich?・・・」と尋ねながら、目が点になっている・・・
 どうしてこういう話を出したかというと、大地の歌にもこれと似た、いや、それ以上の変容がなされているからです。
「大地の歌」のテキストを李白に見せたレポーター:「太白、この詩は、元は、あなたの作った詩なのですが、今、ご覧になってどうですか。ものすごい書き換えが行われたわけですが、それについて率直な気持ち、どう思われますか。一言コメントをお願いします!」
李白:「・・・・ギョエーッ」
ゲーテ:「あ、今、誰かが私のことを呼んだような気がする・・・」
シラー:「ヴォルフガング、空耳だろうよ・・・」
モーツァルト:「あ、今、誰かが私のことを呼んだような気がする・・・」

 李白が驚いてしまったのには訳があります。というのもマーラーが中国語に堪能で、李白の詩を忠実にドイツ語に置き換えた訳ではなかったからです。ハンス・ベトゥゲという人の編纂による「シナの笛」という詩集からマーラーがピックアップし、しかも自分の気に入るように修正加筆したのです。それでは、ハンス・ベトゥゲは原詩から訳したのかというと、いやいや、なかなか・・・。
 彼はハンス・ハイルマンという人の『中国叙情詩集、12世紀から今日まで』を根本資料としながら、独自の解釈を施し、さらにドイツ詩特有の形式に当てはめなおすという作業を行いました。ここでも大幅な変更があった訳で、既にベトゲの作品だと言ってもおかしくないくらいのものになっているそうです。それでは、ハンス・ハイルマンという人は、原詩から翻訳したかというと、いやいや、なかなか・・・
 彼は(も、というべきか)既に出版されていたフランス語による詩集、〜エルヴェ・サン・ドニ公爵の『唐詩』と、ジュディト・ゴーティエの『玉書』〜とを参考にしながらドイツ語訳をおこなったそうなのです。\(^O^)/
 こういう状況を経て生まれた「大地の歌」のテキストなので、それを見て李白が、元はオレの詩なのか!とわかること自体、ひょっとすると奇跡なのかもしれません。この状況は、別に李白に限らず、大地の歌のテキストに登場する他の詩人、銭起、王維、孟浩然にも当然のことながら当てはまることなのです。
     <第1楽章:大地の哀愁を歌う酒の歌 (李太白)   (DAS TRINKLIED VOM JAMMER DER ERDE)>
 この章のタイトルは、実は蒲谷さんの執筆によるNew演奏会の聴きどころの中の「大地の歌」からコピー&ペーストしました。作者が「李太白」(李白ではなく)となっています。これは、「ちゅうごくちゅうどく」の読者にはもうお馴染み問題で、字(あざな)と本名の違いです。太白が字で白が本名です。西域の貿易商人の子として生まれましたが、この「白」というのが五行説では西に当てはめられているのは何か象徴的です。ここでは、他の詩人の名には字が使われていないということに注意しておきましょう。ちなみに王維の字は摩詰、銭起は仲文です。ただし、孟浩然には「浩然」が字で本名は「浩」だという説もあるそうです。何を隠そう、昔、白居易と白楽天は別人だと思っていました。\(^O^)/
 さて、いよいよ本題です。この楽章のテキストの元となった詩は、李白の「悲歌行」という詩です。まず、全文(と、物凄い意訳)を掲げます。
1.悲来乎  かなしいなあ
2.悲来乎  かなしいなあ
3.主人有酒且莫斟  ご主人、お酒を汲むのはちょっと待って
4.聴我一曲悲来吟  私が歌う「悲来吟」をまずは聴いてください
5.悲来不吟還不笑  悲しくなって吟じたり笑ったりしなかったら
6.天下無人知我心  天下に私の心を知る人はいないのです
7.君有数斗酒  君には数斗のお酒があり
8.我有三尺琴  私には三尺の琴があります
9.琴鳴酒楽両相得  琴の調べに酒の楽しみが加われば
10.一杯不啻千鈞金  千鈞の金もお酒一杯の値打ちに及ばないのです

11.悲来乎  かなしいなあ
12.悲来乎  かなしいなあ
13.天雖長  天は長いとは言え
14.地雖久  地は久しいとは言え
15.金玉満堂応不守  金や玉で一杯になった部屋は守りきれません
16.富貴百年能幾何  どんなに富貴でも(わずか)100年の人生にどれほどの価値があるというのでしょう
17.死生一度人皆有  死と生は誰でも一度は味わうもの
18.孤猿坐啼墳上月  猿が一人で啼く墓の上の月
19.且須一尽杯中酒  ともあれ、酒は飲まないと

20.悲来乎  かなしいなあ
21.悲来乎  かなしいなあ
22.鳳皇不至河無図  鳳凰は来ないし、河図は出ない
23.微子去之箕子奴  微子は去って、箕子は奴隷に
24.漢帝不憶李将軍  漢の武帝は李将軍を大事にせず
25.楚王放却屈大夫  楚の王様は屈原を追い出した

26.悲来乎  かなしいなあ
27.悲来乎  かなしいなあ
28.秦家李斯早追悔  秦の李斯は後悔したけれど
29.虚名撥向身之外  虚名のために身を滅ぼした
30.范子何曾愛五湖  范蠡は何故五湖を愛したのか
31.功成名遂身自退  功成り名を遂げたので自ら退いたのだ
32.剣是一夫用  剣は一人しか相手が出来ず
33.書能知姓名  書はただ名前を記すのみ(で十分)
34.恵施不肯干萬乗  恵施は万乗の国を譲られても受けず
35.卜式未必窮一経  卜式は経書一つも極めていなかった
36.還須黒頭取方伯  髪の毛の黒いうちに地方長官くらいにはなるもの
37.莫謾白首為儒生  白髪頭の学者になって貧乏していてもつまらない

注釈
15.老子第九章「金玉堂に満つるも、之を能く守るなし」とある。
22.論語「子罕篇」に「子曰く、鳳鳥至らず、河、図を出ださず。吾已んぬるかな。」とある。聖王が現れる(天下太平のとき)には鳳凰が飛来し、黄河からは竜馬が神のお告げを示す図を背負って出てくるといわれていた。鳳凰、河図が出ないということは、聖王が現れていないということ
23.論語「微子篇」に「微子はこれを去り、箕子はこれが奴となり、比干は諫めて死す。孔子曰く、殷に三仁あり」とある。微子は紂王の兄、紂王の暴虐に愛想を尽かし逃亡、周王朝のとき、殷の遺民の国である宋の国君となる。最近、彼のお墓が発見された。ちゅうごくちゅうどく第20回参照。箕子は紂王の叔父、紂王を諫めたが聞き入られず、狂人を装い奴隷の群れに入って姿をくらました。比干は紂王の叔父、批判したため紂王の怒りをかい、処刑された。
24.李広のこと。李陵の祖父。猟に出た時虎に出会い、射たところ、見事射抜いたが、それは石であった。もう一度その石を射てみたが、どうしても矢は刺さらなかった(ほとんど説明になっていない)。
25.屈原。屈は楚の王室から出た分家の姓。高い教養、強い意志を備えており、王に信任されていたが讒言にあい、遠ざけられた。さらに流罪にあい、投身自殺した。王がアホだとこういう悲惨なことになる例。
28.29.悪者になりきれなかったため、趙高に処刑された。
30.31.范蠡は最初、越王勾践を助け呉王夫差を討ったが、後、官を辞し、太湖、長江を経て斉へ渡り、商人となり、財を築いた。
32.33.「史記」項羽本紀にある項羽の言葉。「文字は名や姓が書けるだけで十分、剣道は一人を敵にできるだけで、習うほどの値打ちがない。わしは万人を敵とする術を習いたいのです。」とある。
34.恵施:荘子の友として書物「荘子」に出てくる。「呂氏春秋」でも多くの箇所で触れられており、ここの挿話は「呂氏春秋/審応覧/不屈」に出てくる。魏の恵王が恵施に国を譲ろうとしたが断られたという話。
35.卜式:前漢武帝のときの人。武帝が匈奴に苦慮していた時、その財を出して辺境を援助したいと申し出た。その後、匈奴の王が投降したとき、食料が欠乏した時にも、20万銭の援助をした。卜式は望まなかったが、中郎に取り立てられた。漢書列伝第28にその伝があるが、「経書一つも極めていない」という表現はないが、「文物制度に通じていなかった」という記述がある。

 これが、第1楽章の歌詞の元となった「悲歌行」の訳です。「歌詞」の出だしは
Schon winkt der Wein im gold'nen Pokale
Doch trinkt noch nicht, erst sing' ich Euch ein Lied!
です。まあ、同じ詩だと言い張ることはできるでしょう。はやくも「金杯」となっていますが・・・。
 第二節の
dein Keller birgt die Fuelle des goldenen Weins 
Hier, diese Laute nenn' Ich mein
Die Laute schlagen und die Glaeser leeren
das sind die Dinge die zusammen passen
Ein voller Becher Weins zur rechten Zeit
ist mehr wert als alle Reiche dieser Erde!
の部分、ここは原詩の7〜10に当ります。
Dunkel ist das Leben, ist der Tod!
この「生は暗し、死もまた暗し」という私のお気に入りフレーズは多分、原詩17行目の「死生一度人皆有  死と生は誰でも一度は味わうもの」のバリエーションではないかと思います。
Nicht hundert Jahre darfst du dich ergoetzen,  100年も楽しめない、楽しんでも100年はない
これは原詩の16行目「富貴百年能幾何  どんなに富貴でも(わずか)100年の人生にどれほどの価値があるというのでしょう」に該当するでしょう
しかし、これより後、特に22行目以降は大地の歌では大胆にカットされています。どの段階で誰がカットしたのかは資料を持ち合わせていないので私には何とも言えません。
 参考までに大地の歌の第1楽章のテキストを掲げておきます。
Schon winkt der Wein im gold'nen Pokale
Doch trinkt noch nicht, erst sing' ich Euch ein Lied!
Das Lied vom Kummer soll auflachend in die Seele euch klingen
Wenn der Kummer naht liegen wuest die Gaerten der Seele
Welkt hin und stirbt die freude,der Gesang.
Dunkel ist das Leben, ist der Tod!

Herr dieses Hauses!
dein Keller birgt die Fuelle des goldenen Weins
Hier, diese Laute nenn' Ich mein
Die Laute schlagen und die Glaeser leeren
das sind die Dinge die zusammen passen
Ein voller Becher Weins zur rechten Zeit
ist mehr wert als alle Reiche dieser Erde!
Dunkel ist das Leben, ist der Tod!

Das Firmament blaut ewig und die Erde
wird lange fest steh'n und aufblueh'n im Lenz.
Du aber Mensch, Wie lang lebst denn du?
Nicht hundert Jahre darfst du dich ergoetzen,
an all dem morschen Tande dieser Erde!
Seht dort hinab! Im Mondschein auf den Graebern
hockt eine wild gespenstische Gestalt.
Ein Aff' ist's Hoert ihr, wie sein Heulen
hinausgellt in den suessen Duft des Lebens!
Jetzt nehmt den Wein! Jetzt ist es Zeit Genossen
Leert eure gold'nen Becher zu Grund!
Dunkel ist das Leben, ist der Tod!
 日本語訳はどこかのを写すと著作権侵害の恐れがあるので控えさせていただきます。また、いわゆる「ものすごい意訳」をすると詩の雰囲気をブチ壊す恐れがあるのでそれも控えたいと思います。大体のCDには対訳が載っていますのでそちらを参考にしてください。
 さて、次回は必見です。黄虎洞洞主こと、中林史朗先生の惜しみない協力によってついに実現!第二楽章の元となった唐詩、銭起の「效古秋夜長」の全貌が今ここにベールを脱ぐ!!果たしてあなたはこの衝撃に耐えられるか!!!
 

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